歌われなかった者たちへの賛歌:福岡伸一『できそこないの男たち』


 福岡伸一『できそこないの男たち』を読了。前作『生物と無生物のあいだ』が消化にまつわる謎から生物の本質に迫る名著だったのに対し、今回はヒトゲノムにおける男性決定因子であるY染色体の仕組みとその発見にまつわる科学者たちのドラマがテーマ。前作の熱気を持つ文章の素晴らしさには圧倒されたけど、今回も文章はうまい。ただし、今回は自分が文章がうまいということに気付いてしまったようで、少し「やりすぎ」感を読者に与えてしまうのが残念。前作ではそれほど気にならなかった体言どめは、なんだか「できそこないの村上春樹」を連想させるので個人的には使用を控えていただきたい。

 著者のライターとしての優れた資質は、アンサング・ヒーロー(歌われなかった英雄)たちを掘り起こし、「二等賞以下の椅子はない」と言われる厳しい競争を要求される科学の世界において、それでも彼ら/彼女らが果たした重要な役割を再評価する手腕にあります。二作読むと(『もう牛を食べても安心か』も入れると三作か)、著者がお気に入りらしいタイプが分かってくる。それは、ワトソンとクリックのように閃きと直感にものを言わせて空を飛ぶ天才的な演繹型ではなく、地道に実験を繰り返し、一分の飛躍も許さない論理とデータの積み重ねによって真理へにじり寄る帰納型の研究者です。それは、前作でいえば、37歳で夭逝した「ダーク・レディ」ことロザリンド・フランクリンであり、今作の「男の秘密を覗いた女」ネッティー・マリア・スティーブンズです。これは多分、著者も性格的にそういう帰納型のタイプなのでシンパシーを持つのと(文中によく地道な実験を音を上げながらも繰り返す自分のエピソードが出てくる)、生物学というのが、経験科学の最右翼であるため、とりわけ帰納的アプローチが重視されるからでしょう。ノーベル賞に沸いた量子力学では、こういう帰納型の人間にあまり出番はなさそうだ。

 本書ももちろん名著だし、著者の本はどれを読んでも決して期待を裏切られることはない、と生物学には素人の私が請け負いましょう。日本の生物学分野は、長らく竹内久美子のおかげでまともなサイエンス・ライターが踏み込むことのない不毛の地と化していたけど(長谷川夫妻だけではいかにも手薄だった)、海外からはスティーブン・ピンカー、そして国内では福岡伸一と、最近ようやく優れた啓蒙書が現れるようになったのは、大変慶賀すべきことです。