いつから私たちは他人を蹴落とさなければいけなくなったのか:竹内洋『立志・苦学・出世』

 私たちの人生は、試験、すなわち選抜によってその航路が大きく決定づけられます。多くの人が最初にその選抜を経験するのは学校受験でしょうが、スポーツや芸術の世界でもやはりプロテストやコンクールなど、選抜に勝ち抜くことが最重要の課題とされています。プロになった後には、もっと厳しいテストが沢山待ち受けている。政治家にとっては8月にある選挙が試験です。その点、現代の日本は、試験で人生が決まる社会と言っていいでしょう。

 この試験という代物がとてもストレスフルで嫌なものだということも、私たちは骨身に染みて知っています。できることなら受けずに済ませたいと、誰もが思う。テストに重圧を感じないのは、軽々クリアできる卓越した力の持ち主か、受からなくてもかまわない事情のある者だけです。でもそうした人はごく少数の例外なので、結局私たちの大半は、いやいやながらもテストに向き合い、それに合格するよう ―― 程度に差はあれ ―― 努力しなければならない。

 しかし、今は私たちの人生に当たり前のように存在しているこのメルクマールには、大して長い歴史があるわけではありません。現在のようなペーパーテストによる選抜試験が制度化されたのは、明治時代に入ってからです。周知のように、日本は中国文化からの影響を常に受けながら発展してきましたが、科挙だけは日本に定着しませんでした。これは、江戸時代までの日本が身分社会だったため、実力主義能力主義的なイデオロギーが邪魔だったからです。荻生徂徠のように、時代に先んじて能力主義の必要性を訴えた思想家もいるにはいましたが、主流にはならなかった。

 逆に、明治政府がなぜペーパーテストによる能力主義的選抜を採用する必要があったかというと、そうしなければ合格できないもっと大きな試験があったからです。言うまでもなく、諸外国との競争です。清、ロシア、イギリス、アメリカ。こうした当時の日本よりはるかに強大な諸外国との、軍事・経済・外交など全方位的な競争に勝つためには、日本中から国家有為の人材を発掘し、育てなければなりませんでした。だから、当時の受験生たちの目的も、どちらかというと経済的成功よりも官僚として高い地位に昇ることに主眼を置いていました。今でも日本のエリートに経済界より官界に行く風潮が残っているのは、明治からの伝統です。

 このような能力主義的な時代を導いたイデオローグが、福沢諭吉でした。ベストセラーになった『学問のすゝめ』の一節「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」は非常に有名な言葉ですが、しかしこの一節はそれ単独で解釈すべきものではありません。これだけ読むと、福沢が、人に全く貴賎上下がない、と言っている絶対平等主義者のような印象を受けますが、実際は、その後に、人に貴賎上下はある、とはっきり言っているからです。学ぶ者は賢く貴く、学ばないものは愚かで賎しい、だからみな勉強せよ、と。福沢の発破と呼応するように、近代の日本は、それまで立身出世と無縁だった庶民たちの野心に点火し、その上昇熱によってドライブされる戦争機械として自らを作り上げました。受験はただ客観的な選抜を行うというだけでなく、加熱装置の役割も果たした。

 しかし、当時の受験経験には、戦後のそれとは異なる点もありました。一つの大きな違いが、当時の試験が非零和ゲームだったことです。つまり、受験生の数が入学枠より少なかったので、誰かの合格が必ずしも別の誰かの不合格に帰結することがなかったのです。全員合格だって夢ではなかった。

 試験難はあっても、あとの時代のようにパイ(定員)は一定であり、誰かの勝利(合格)は誰かの敗北(不合格)をもたらすという零和ゲーム競争ではなかった。競争の重圧感が昂進するのは零和ゲーム競争である。そのときに他人を蹴落としたり、他人から蹴落とされるという競争観が生じる。明治20年代の入学試験はまだ非零和ゲーム競争だった。(pp.73-74)

 これは心理的負担が大きく違います。アメリカの心理学者アルフィ・コーンも『競争社会をこえて』で述べているように、競争が人格形成にもたらす害悪の多くは零和ゲームの場合に生じます。自分が努力することで必ず他人を不幸に陥れてしまう、あるいはその逆の経験をすることは、人の心に一生のこる暗い翳を落とす。大人はそれを「人生の厳しさ」と表現しますが、そのような厳しさを知らずにすむ時代もあったのです ―― もっとも、いずれは諸外国と雌雄を決するときに、それを知ることになったのですが。

 もう一つの当時と現代との違いは、現代のほうが民衆の上昇熱が低くなったことです。これには複数の原因が絡んでいます。もう受験に合格することが、安定した将来や輝かしい何か(司馬遼太郎が「坂の上の雲」と表した何か)を保証すると信じられなくなったこと。教育の普及に伴う階層の固定化が進み、受験に合格する能力が閉じた階層の中でだけ遺伝するようになり、「努力しても無駄だ」というあきらめが広まったこと。

 こうした欲望の冷却(クール・アウト)は、決して一概に悪いものではありません。マクロの視点で言えば、民衆の欲望が、国家という機械が利用しきれないぐらいに熱しすぎると、国家は暴走を始めてしまうし、ミクロの視点で見れば、受験に失敗した人々の果たされなかった野心は、いつまでも分不相応な夢を見続けて人生を棒に振りかねない。近代社会は、この加熱と冷却のきわどいバランスの上に成立する。

 近代社会は一方で野心を掻きたて(加熱)ながら、他方で諦めさせる(冷却)過程を作動させてきた。しかし加熱と冷却はディレンマである。野心を高めることに社会が成功すればするほど、のちの局面で野心を冷却させることは困難になるからだ。逆に野心を鎮静させることに社会が成功すればするほど野心を加熱させることは困難になる。だから加熱と冷却はディレンマではあるが、それを蒸気機関のボイラーと凝縮機の温度差のように差異のポテンシャルとして利用し、エネルギーを吹き出させることが近代社会の活力の源泉だった。(p.173)

 少子化が進み受験の圧力が下がり、経済的にも長期的な停滞期にある現代の日本は、いわば「野心の冷却」がかちすぎている状況にあります。そのような冷たい社会は、安定していて心理的には楽なところがあるのだけど、成長がなく配分できるパイも減る一方なので、いずれジリ貧です。だからまた野心の加熱をしないといけないのは明らかなのだけど、そのために受験、もっと一般的に競争という道具を再利用できるかどうか、それは明らかではない。