言語は次元を超えることができるか:小山宙哉『宇宙兄弟』

 昨日、漫画の『宇宙兄弟』を読んでいたら面白いことが描いてありました。この物語は、宇宙飛行士を目指す兄弟の成長を描くビルドゥングスロマンなのですが、私が面白いと思ったのは、主人公の六太が JAXA の飛行士試験を受けるときのワンシーンです。TV で塩川という女性キャスターが宇宙開発に公的資金を投じることを批判した、次のようなコメントが受験生たちに紹介されます。

でもホラ宇宙開発って莫大な資金を使ってますよね。それもみんな私達が払ってる税金なわけですよ。…… その割に有人宇宙飛行での科学的成果が見られないですよね。地上に解決すべき問題が山積みなのにそんなことにお金を使うのはどうかと私は思うわけです。

 この意見はもっともなものです。事業仕分けで各種の公共事業が批判されたときのロジックはおおむねこれに類するもので、「有人宇宙飛行」のところを「ダム」とか「海洋資源開発」とかに置き換えても違和感ありません。塩川さんの言うことは、「リソース配分には優先順位があるので、そのプロジェクトの重要性を定量的に示せ」ということです。世の中には温暖化対策とか HIV 感染防止とか、重大なプロジェクトはほかにも沢山ある。それらを押しのけても宇宙開発にリソースを注ぎ込む価値があるというのなら、その根拠を挙げよ、と。まあ常識的な意見です。

 ここで JAXA の試験官は、この塩川女史のコメントに反論する文章を作れ、という問題を出します。いい答案が出来たら本当に採用しようと言う、一石二鳥のしたたかな考えです。受験生たちもあの手この手の説得のためのロジックを考えます。

 しかし六太は、ここで誰も予想しないことを言い出す。「説得は無駄だからやめよう」と、白紙の答案を出すのです。驚く他の受験生に向かって、彼は言います。宇宙がどんな素晴らしいことか、そこを目指すことがどんな価値を持っているか、ということを、それに価値を見出さない人にわかってもらうには、実際に宇宙に連れて行くなりして体験させるしかない。言葉で説明しても、理解してもらえるものではない。だから、抗議文を送るのは無意味だ――。

 試験そのものをちゃぶ台返ししてしまうこの暴挙に、受験生も教官も呆れるのですが、でも私は、彼はここで価値の問題についてとても重大な問題を提出していると思う。それは「価値観の違う人間同士が価値観を共有できるよう言葉で説得することは可能か?」という問題です。そしてそれに彼は「できない」と答えた。

 これは私たちの素朴な直観にも合致する意見です。例えば、あなたがとても好きなミュージシャンがいたとして、その音楽を聴いたことのない友人に対して、素晴らしさを伝えることができるでしょうか。まあ、不可能な話です。あなたがどんなに言葉を尽くして熱く語ったとしても、一聴には如かない。「ふーん、そんなにいいんだ。ほんとに好きなんだねえ」と言われて終わりでしょう。あなたがさらに食い下がりたいなら「とにかく一度聴いてみてよ。絶対に気に入るからさ」と言うことで「体験」の持つ力に訴えるしかない。そして友人が、自分と同じようにその体験に共感してくれる可能性に賭けるしかない。

 何らかの体験を共有することでしか価値観を理解できないという点では、宗教も分かりやすい例です。宗教の素晴らしさというのは、その外部にいる人間には、内部の人間からどんなに言葉で説明されても理解できるものではありません。その宗教を実際に信じてみて、何らかの宗教的体験を経ないことには、その宗教の価値観にコミットすることはできない。よく、ある価値観に深く傾倒してしまって、言葉による説得を受け付けなくなった状態の人間を「信者」と揶揄的に呼ぶことがあるのは、体験に深く依存する宗教の性質に由来するものでしょう。

 六太たち受験生や JAXA の職員は「宇宙を目指すことは素晴らしいことだ」という価値観にはコミットしているので、そのプロジェクトにリソースを注ぎ込むことに疑問を感ない。しかしその価値観の外部にいる塩川キャスターは、六太たちを宇宙教という、異端とまでは言わないまでもローカルでマイナーな宗教の信者ぐらいに思っている。信者が自らの信じる宗教のために人生を賭けたりお布施を払うのは自由だ。好きにすればいい。でも、なぜ信者ではない人間にまで税金という形でお布施を強要するのか? それでは、キリスト教徒が自分とこの教会を建てたいからと仏教徒の財布から金を強奪するのと同じではないか。なぜ国家が特定の宗教を支援せねばならない? 塩川キャスターの言葉を補うと、まあそんなことを言っている。

 六太は、彼女の問題提起に対して、言葉による対話を放棄(!)して「仏教徒キリスト教徒に改宗させるしかない」という凄い解決策を提出してきた。しかもそこで「仏教は2次元だが、キリスト教は3次元で、より高次な宗教だ」というレトリックまで駆使している(これは実際に漫画を読んでもらいたいのですが、本当にそういう表現を使っている)。恐ろしい男だ。むかし植民地で現地民を無理矢理キリスト教に改宗させた西洋の宣教師たちも、多分同じように考えていたのでしょう。彼の思いが純粋なだけに、このシーンは読んでいて怖かった。

 一方、他の受験生は、宇宙開発の実用的なメリットを強調するなど、言葉による説得を試みます。宇宙開発は科学の進歩に寄与します。日本の国益にもなります。決して無駄なお遊びじゃないんです。だから税金下さい ―― 本当は、そういうのが宇宙開発の本質ではない、ということは彼らだって分かっている。フロンティアを目指すということはそんな言葉で言えるメリットなんかに還元できるものではない、と。でも彼らは、塩川キャスターにも通じる言葉が何かを考えた。そこには対話を模索する姿勢が見られる。誇り高き3次元人の六太はこれに対して「2次元人に妥協するなど、3次元人の面汚しが」と不満を持つだろうけど、私は評価したい。

 なぜなら、塩川女史が正しく指摘するように、税金の中には別に宇宙開発に興味のない人や反対の人のお金も含まれているからです。そういう人たちから同意なしに金を出させることは、強奪に等しい。どうしても税金が欲しいのなら、払ってくれる人たちが賛同してもいいと思うような理由を挙げる義務がある。

 もしそういうことを面倒だとか、どうせ分かってもらえないと思うなら、税金に頼らず有志だけの力でプロジェクトを進めるべきです。六太はこういう選択肢を考えたことはないみたいだけど、そんなに宇宙開発が好きなら、同好の士でお金出し合ってロケットを作るベンチャー興せばいいじゃない。ホリエモンはそうしてる。なぜ自分たちだけの力で宇宙に行こうとは思わず、最初から他人の財布をアテにするのか? 莫大なお金がかかる? そうらしいね。ホリエモンも何十億と注ぎ込んでるらしいから。じゃあまずは資金集めが君たちの最初の任務だ。パトロンを見つけてもいいし、自分で稼いだってかまわない。

 そういう地道な活動は嫌だ、税金が欲しい。しかし宇宙開発の意義を理解しない人間には説明する気もない、というのはなかなか傲慢な態度です。漫画の中では受験生の一人が塩川女史のことを「このオバサンは敵やな」と言っていたけど、私には彼らが敵に見えた(私も別に宇宙に特段の興味はないので)。
 そのようなわけで、私は塩川女史を断固支持するのである。