どれもこれもはとれません

 先日もお伝えしたローマ法王のコンドーム否定発言について、『Economist』も批判の記事を掲載しています。法王の発言は「よく言っても現実離れしており、悪く言えば鈍感で冷酷」と酷評されています。

 記事はまた、コンドームの適正な使用 ―― 特に売春婦とその客の使用が効果抜群 ―― によって HIV 感染率を減少させたタイやウガンダの事例や、逆に南アフリカのように、誤った情報に惑わされて 33 万人の防げたはずの死亡を招いた事例を指摘しています。感染症の拡大防止に本当に効果的なのは、正しい性教育、一夫一婦制の奨励、初体験年齢の引き上げ、女性の性生活についての発言権を拡大する、といった一連の施策であって、「ただ人々が道徳的に正しい行いをするよう祈るだけでは、何の足しにもならない」。WHO の調査でも、コンドームは適切に使用することで、HIV の感染率を 90% 下げることが分かっています。

 極めてまっとうな意見で、何も付け加えることはありません。同誌の読者層にはカトリックが少ないことも作用しているのでしょうが、それでも英語圏のメディアがキリスト教の最高権力者に容赦ない批判を浴びせる度胸は素晴らしい。

 もっとも、ローマ法王に限らず、先進国では一般的に感染症が大問題であるという認識がないのも事実です。だから、環境問題のように、そもそも問題ですらない可能性のある優先度の低い課題に対して莫大なリソースを投下し、HIV はじめとする感染症のように本当に切実な問題が無視されるという倒錯的な状況が生まれている。しかし、地球温暖化によって死人が出たという話はまだ聞いたことがありませんが、感染症による死者は毎年数百万人の規模にのぼります。しかも、感染症対策は非常に費用対効果の高いプロジェクトで、同じ労力で温暖化対策よりもずっと多くの人を救えるという点について、専門家の意見は一致しています。本当に人類の将来のことを考えるのなら、どちらにリソースを優先的に配分すべきかは明らかです。かのビル・ゲイツも最近、慈善事業に注力していますが、彼も感染症を重視している。世界有数の経営者だけあって、優先順位の付け方を知っています。彼は 2008 年のダヴォス会議でも、感染症対策へ注力することを明言しています。

マラリアのような年間100万人以上を殺す病気が、ハゲを改善する薬よりも注目を集めなくなってしまった。
 
ブッシュ大統領が最近署名したアメリカの法律によれば、これまで無視されてきたマラリア結核のような病気の新しい治療法を開発する企業が優先的に FDA(食品医薬品局)の審査を受けることができるようになった。つまり、あなたがマラリアの新薬を開発すれば、それはたとえばコレステロールを下げる薬よりも一年早く市場へ出荷することが可能になるかもしれない。この優先順位の見直しは、数百万ドルの価値があると言えよう。
 
私は非常に野心的な目標を設定している。私は楽天家だからね。もし、そうだな、私たちの地球健康プログラムが20の病気をターゲットにしているとすれば、15年以内にそのうちの半分以上に劇的な改善をもたらすことができるだろう。

 「育毛薬のような(相対的に)どうでもいい薬の開発が優先されているのはおかしい」というのは、アメリカの製薬会社に対する批判のうちポピュラーなものの一つです。『ザ・ホワイトハウス』(2nd)のエピソード 26 「In this White House」(邦題「ブロンドのライバル」)でも、エイズ対策サミットで、トビーが製薬会社を「黒人の HIV 治療薬を作るより、白人の勃起薬の方が金になるんだろう」と攻撃しています。アメリカの偉いところは、こういう合理的な批判に対して政治がちゃんとリアクションを起こすところです。ブッシュも戦争ばっかりやっていて大統領を続けられるわけではありません。重要な政策をいくつもものにしている。

 それにしても、明らかにもっと重要な課題があるのに、それを放り出して温暖化対策のようなどうでもいいプロジェクトに(特に日本人が)熱中してしまうのはなぜでしょう? リソースが有限である以上、優先度の高い課題から取り組むべきだ、ということは自明のはずなのに。

 ここに合理的な説明を探すのは難しいのですが、一つ有力な説明としては、環境問題を利用した商売が成立する、ということを挙げられます。武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』『偽善エコロジー』は、そうした例を丁寧に検証しています。

 一定の規模を超えた集団で全体最適を目指すことは難しい。これは組織内で働いた経験のある人なら誰でも感じたことがあるでしょう。地球規模という最大レベルで考えることは、その中でも最も難しい全体最適の課題なのです。