価値は事実より強し

 地球が温暖化しているかどうか、というのは事実の領域に属する問題です。一方、地球温暖化を食い止めるべきかどうか、というのは価値の領域に属する問題です。

 常識的には、事実が価値によって変化することはないのですが、でも現実には、ガリレオの時代からしばしば、人間はその不可能事にチャレンジしてきました。温暖化を示すと思われていた観測データが、実は改竄されていた可能性があるという疑惑が浮上し、世界中で議論を呼んでいます。1970年代の大政治スキャンダルウォーターゲート事件にちなんで、早くも「クライメートゲート事件」という不名誉な名前がつけられてしまった。まだ全容が明らかでないので確言できませんが、事実なら渦中のジョーンズ博士は科学者として終わりだろうし、今までこのデータに頼って進めてきた温暖化議論も大幅な修正が迫られるでしょう。ちょうど COP15 の開催にぶつけてきたあたり、証拠のe-mailを盗み出したハッカーも計算高い。

 なぜ価値が事実を捻じ曲げるかといえば、やはりそこに利害の力が作用するからです。中世には、地球が太陽の周りを回っては困る人々が大勢いたし、現代には地球が温暖化しないと困る人たちがいる。代表的には、その研究で仕事を得ている科学者、運動家、政治家、官僚といった人々です。だから短期的に見ると、事実が価値に負けてしまうことがある。

 もちろん、長い目で見れば地球が太陽を回っていることは明らかにされたし、温暖化についても、地球が寒暖どちらに向かっているかは、数十年たてば誰の目にも明らかになります。ただ、その頃にはもう注ぎ込んだリソースは取り戻せない。だから、温暖化の危険を煽りすぎて事実に対するバイアスを強めることは、人類全体にとって得策ではありません。

 その点、「気候変動を深刻な問題と思う」人が世論調査で5割を切る英米の人々というのは冷静なもんです。こういうところに感心する。

 12/11 追記:この事件は日本のメディアは海外メディアに比べてあまり取り上げませんが、Newsweekが比較的詳しく書いています。紹介されている「リベラル派のアジェンダを妨げる可能性がある」から大手メディアは取り上げたがらないのだ、という保守派論客の意見も、まあ分からないでもない。