『Economist』:未来の価値

 地球温暖化が広く公共の議題となって以来ずっと、経済学者は一貫して環境保護論者の立場を脅かし続けてきました。両者が対立するのは、温暖化の緩和が非常に大規模な投資を必要とするからです。一般に、政府や企業が投資を行うとき、重要なのは回収率です。もし投資が十分な見返りをもたらすなら、それはやる価値があるし、そうでなければ、やる価値はない。

 温暖化緩和を投資と見た場合に難しいところは、その利益が不確実で、しかも回収できるのが遠い未来であることです。近い将来にリターンが見込めるような投資 ―― 一例を挙げるなら、途上国に対する教育事業は、通常年利 10% の回収率を見込める ―― に比べると、クリーン・エネルギーは投資先としての魅力に欠ける。

 このような経済学者からの批判に答えるため、環境保護論者が引き合いに出す経済予測のレポートがあります。とりまとめた経済学者の名前をとって、通称スターン報告と呼ばれる、今後100年近くにわたって地球温暖化がもたらす経済的損得についての調査報告書で、イギリスや日本はじめ少なからぬ政府がこのレポートの内容を参考に意思決定を行っています。

 その要旨は日本語でも読むことができますが、結論は「最悪で世界の GDP の20% に相当する損失が生じる」という相当にショッキングなものです。環境保護論者は、この報告を持ち出して「それ見ろ、温暖化防止は経済学的に見てもやるべき取り組みなのだ」と主張する。

 しかし、この報告書は多くの経済学者には評判が悪い。理由は、大きく二つあります。一つは、肝心なのは「最もありえそうなシナリオ」なのに、最悪のケースばかりが強調されすぎていること。IPCC のデータを基礎に算出すると、一番可能性が高いのは、今後 100 年間で 2.8度の上昇ですが、この場合の損失はずっと小さく、全世界の GDP の 0 〜 3%です(これはスターン報告にも記載されている)。

 でも、この報告書には、もっと根本的で、しかもかなり基本的なところに欠陥が指摘されています。論争の焦点になるのは、割引率(discount rate)という概念です。

 投資や温暖化防止のように、費用と便益の発生が時間的に離れている場合、その費用便益分析を行う際には、未来の費用と便益を現在の価値に換算するという方法を使います。具体的には、未来の価値に一定の割引率を乗じて小さく見積もるのです。これはスタンダードな方法で、スターン報告も使っています。

 問題はその割引率の設定の仕方にあります。社会全体の割引率は、成長率時間選好率の和で表されます(正確には、成長率に「限界効用の弾力性」を乗じるのですが、スターンほか多くの経済学者はこれを1にしているので、今は考えません)。

 なぜこの二つが未来の価値を割り引く要因になるか、というのは簡単にわかります。成長率に正数を前提するということは「未来は今より発展して豊かになっている」という進歩史観を採用することです。そうすると、同じ効用を得るための費用も今より未来のが小さくなっているはずです。いま私たちが当たり前のように享受している豊かな暮らしは、100年前はどんな王様も独裁者も手の届かない物でした。

 もう一つの時間選好率というのは、「同じ100万円もらえるなら10年後より今ほしい」という人間の主観を考慮したものです。まあ人間を朝三暮四の猿と同じと見ているようなイメージです。この二つを足し合わせた社会的割引率が大きければ大きいほど、未来の便益は小さくなるので、いま投資をするメリットは小さくなります。逆に割引率が小さければ、投資の効果は大きくなる。

 普通の経済分析では割引率に 3% ぐらいを使いますが、スターン報告書は、非常に小さい割引率を使っている。具体的には、時間選好率が 0.1%、成長率が 1.3%、合計 1.4% です。その結果、温暖化の被害は非常に大きく見積もられることになる。イェール大学のノードハウスノーベル賞経済学者のベッカーは、この割引率は不当に小さいと批判しています。ベッカーは、割引率に 3% を使えば、温暖化対策はむしろ損になると試算している。

 なぜスターン卿はこんな非常識に低い割引率を持ち出したのか? 結論が先にあって変数の操作をしたのだ、という勘繰りも可能ですが、彼は時間選好率についてはその理由を語っています。

 隕石が世界を壊滅させる可能性はあるし、未来の世代は今よりも豊かに(または貧乏に)なっている可能性もある。しかし、それでも私たちは未来の世代の厚生を、私たちのそれと同等に扱う。もちろん、遠い未来だからという単純な理由だけによって、未来の世代の価値を低く見積もることも可能である。しかし、それを倫理的に正当化することは困難だ。
"Chapter 2: Economics, ethics and climate change", Stern Review

 未来を割り引いてはならない ―― スターン卿は、この信念を 1930 年代のケンブリッジで活躍した天才経済学者フランク・ラムゼイから受け継いだという(であればいっそゼロにすればよかったと思うのだけど、気が引けたのだろうか)。ラムゼイは、確かに 1928年の論文において、「現在の楽しみのために将来の楽しみを割り引くことは、倫理的に擁護できない行いであり、そのような考えはただ、想像力の欠如から起こるものである」と断言しています。

 しかし、このラムゼイの特異な時間選好率に対する考えには、もっと異なる解釈がありうるし、スターン卿の解釈は論理的におかしい、というのが他の経済学者の意見です。

 例えば、ノードハウスは、割引率は現実の市場の利子率や貯蓄率と整合的でないと意味がない、勝手な信念で数字を決めていいものではない、というもっともな批判をしています。またケンブリッジ大学ダスグプタが言うように、なぜ同世代の人間よりも未来の人間を救うことに重きをおくのか、その根拠をスターン報告は語っていない。我々と同時代を生きている人々の中には、極めて悲惨な環境で苦しんでいる人々が大勢いる。温暖化対策に注ぎ込むリソースを感染症や飢餓といった喫緊の問題へ振り分ければ、非常に多くの人々を救うことができる。それなのに、環境保護論者はなぜ、同時代人よりも、まだ生まれてもいない(しかもおそらく我々より豊かな人生を享受できる)未来人の方が救うに値すると決め付けるのだろう? その根拠は一体どこにある?
 結局のところ、スターン卿最大の間違いは、事実についてのみ語るべきところで、「未来は現在と同じぐらい大事だ」という倫理的判断を持ち込んでしまったところにあるのです。これは、社会科学者としてやってはならないルール違反でした。温暖化のように政治的バイアスのかかりやすい領域においては、価値が常に事実の領域を侵食しようとする。その圧力は、価値中立を身上とする科学者にとっても耐え難いものなのです。