経験主義は死なず:ナシーム・タレブ『強さと脆さ』

 「先賢の教え」という言葉があります。色々な経験を積んできた年長者は、若造が持ち合わせていない知恵や技術を持っている。砕けた言い方をすると「お婆ちゃんの知恵袋」です。リーマン・ショックを予測した金融界の鬼才タレブが勧める生存戦略は、「お婆ちゃんに聞け」です。間違っても金融や経済の「プロ」とか「専門家」にアドバイスを求めてはいけない、そいつらみんな詐欺師かボンクラか、その両方だから。この本の帯には「金融関係者必読!」とあるのだけど、タレブが本書で金融関係者にしているアドバイスは一つ。「今すぐ離職して、もっと真っ当な仕事についてくれ」。本当にダイヤモンド社はこれを関係者に読ませるつもりか。

 タレブが上のような結論に到達した理由は、骨子としては難しいものではありません。専門家は何らかのモデルと理論を使って金融市場の動向を予測することで利益を出そうとするけど、そういう予測が有効なのは、長期の確率が計算できる場合、すなわちエルゴード性が満たされる場合に限られる。でも経済現象は複雑で、一回性が強すぎるのでエルゴード性を持たない。だから専門家の予測する確率は、実際には全然客観的なものではない。リーマン・ショック後の経済危機を表す言葉として「1万年に1度」という表現が使われますが、これは別に 1 万年間の蓄積データから導いたのではなく、せいぜい 100 年程度のデータから理論的に算出しているのです。

めったにない事象であればあるほど、実証的なデータは得られなくなり(将来は過去に似ているなんて、太っ腹な仮定をおいてさえそうだ)、理論に頼らなければならなくなる。/稀な事象の起こる頻度は、まさしく稀な事象であるがゆえに、実証的観察からは推定できないのを思い出そう。だから、私たちは先験的なモデルでそうした事象を表現せざるを得ない。(p.91)

 しかし、稀な事象の客観的確率は分からない。ゆえに、稀にしか起こらない破滅的な大事件は、いつも予測不可能な事象として現れる。これがタレブの洞察です。そういう「ブラック・スワン」に遭遇したときの生き残り方は、実際に生き残った人間に聞くしかない。そこでお婆ちゃんの出番となるわけです。

 中でもタレブが注目するお婆ちゃんは、母なる自然です。彼女は地球最古の生き残りであるため、カタストロフィに対処するための、人間の知らない知恵を色々持っている。例えば、自然は無駄が好きです。動物の器官は、眼球や腎臓や卵巣のように、同じ機能を持つものが冗長化されている。脳も互いに同じような機能を持っている部位があることが、最近の研究から分かっています。こうした冗長化を施すと、障害には強くなりますが、効率は悪くなります。重い臓器を二つ抱えることは、逃げ足を遅くするし、維持のために二倍のエネルギーを使わなければならない。タレブが言うように、経済学者が人間を設計したら、絶対に臓器は一つだけしか持たせないでしょう。その方が効率的だからです。でも、自然は効率の最大化よりも、多少ムダは出ても耐障害性を高める方向を選んだ。その方が長期的な生存可能性が上がることが、経験的に示されたからです。もしかすると昔は、臓器を一つしか持たない「効率的」な動物もいたのかもしれない。でもその連中はみんな淘汰された。

 以上から分かるように、タレブは強固な経験主義者です(自分でもそう言っている)。人間は重要な情報はほとんど何も知らないし、現実を理論的なモデルで近似するのは絶望的に難しい。したがって、長期的な未来予測も当てにならない。頼りになるのは理論ではなく、実績である。様々な危機を生き延びてきた、その実績だけが戦略の正しさを担保するのである。タレブはそう言います。彼が最古のシステムである自然に敬意を払うのも、そのためで、良い生物とは、生き残った生物、というわけです(ここには明らかに「良い理論とは生き残った理論」というポパー反証主義の影響が見て取れる)。

 こういう考えは、ごく自然なことですが、社会全般についての保守的な態度と結びつきます。なぜなら、長い年月の風雪に耐えてきたシステムには、それが上手くいくだけの理由があると考えられるからです。例えばタレブは、電子書籍に否定的です。紙という何千年にもわたって使われてきた媒体には、我々が気づいていない利点が数多くあるはずだから、電子書籍が簡単にその座を奪うことはないだろう、と。彼はまた温暖化をはじめとする環境破壊についても慎重派です。学者の中には「温暖化のもたらす被害は少ない」と予測する者がいるが、それを信じるべきではない。私たちは「生態系に関しては超保守的であるべき」(p.21)というのが彼の信条です。その理由は、生態系の変化が人類に害悪をなすとわかっているからではありません。そうではなく、実際どっちに転ぶか、私たちには分からないからです。このように、タレブは人間の理性と認識の限界について悲観的です。多分、トレーダーとしてのキャリアの中で、アタマの切れる連中が無惨に吹っ飛ぶ事例を多く見てきたのでしょう。

 人間理性に対する悲観的な洞察から保守的な信条を導く傾向は、タレブだけの専売特許ではなく、ディヴィッド・ヒュームからフリードリヒ・ハイエクに至る経験主義の伝統です。その中でも、最も強力に保守主義を擁護した人物を挙げるなら、エドマンド・バークでしょう。バークはデカルト的な理性への過信に警鐘を鳴らし、人間が計算どおりに社会を作っていく能力があるという考えを批判しました。これは後に、社会主義的な設計主義への批判という形でハイエクに継承されます。タレブはバークに言及はしていないけど、彼の衣鉢を正しく継いでいる。

 しかし一方、多くの知的巨人を輩出しながら、経験主義というのは昔からインテリに不人気です。その理由は、経験主義が体系的な理論を持たないので、小難しい理屈や派手な論証が好きな(特に理系や経済学の)エリートには受けが悪い、というのが一つ。タレブは「経験主義とは、理論も信念も因果もないということではない」(p.155)と弁護しているけど、悲しいかな、アカデミズムの世界ではそう思われていない。実証研究というのは、一段頭の劣る研究者が業績を稼ぐためにコツコツやるものだと考えられている。もう一つは、経験主義が真理に到達する手段として使う帰納(実証)という手段が、昔からその正当性を疑問視されていることです。これら二つの理由から、経験主義というのは、曖昧でいかがわしい上に地味、という損な印象のある立場です。

 まあ別に、実証が嫌いで理論が好きだって構わないのです。分野によっては、ですけど。エルゴード性が満たされる物理学のような分野であれば、理論とモデルは大いに役に立つ。でも、経済学や医学の分野では厳重な注意が必要です。扱う事象の一回性が強く、確率的な予測は役に立たないことが多い。タレブは、この点を無視して無理やり理論による予測を立てては、ブラック・スワンが現れるたびに自分が吹っ飛ぶだけでなく社会に甚大な被害を及ぼす「専門家」を口を極めて罵っている。医学においては、良い治療とは正しい理論に沿って行われる治療ではなく、病気を治せる治療です。ぶっちゃけ、治療プロセスが謎な民間療法だって、治ればそれでいい。経済においても同じだ、とタレブは言います。生き残った戦略が良い戦略なのだ、と。そしてその戦略を知っているのは、実際に生き残った人間、つまり年寄りだけなのだ、と。

 気づいたかもしれませんが、タレブの言葉というのは、結論だけ拾ってくると「先輩のアドバイスには耳を傾けましょう」とか「無理な借金はするな」とか「理論は使いどころを間違えてはダメです」とか、凡庸なものばかりになる。おそらく、この凡庸さもまた、経験主義が不人気な理由の一つです。私はその地味さが割りと好きだけど。