科学の立証責任:あなたは天空のティーポットを信じますか?

 3月11の福島第一原発の事故以来、放射能が健康に与える被害というのは、日本人(特に東日本に住んでいる人)にとって避けられない関心事となりました。私も知り合いに聞いた話では、柏市松戸市といったホットスポット地域に住んでいる人たちの中には、本当に引っ越した人も少数ながらいるようです。ダンナを残して奥さんと子供だけ放射能疎開という事例もあるという。

 そうした不安につけこむ形で、怪しげな放射能「対策」や健康法も跋扈するようになりました。詳しくはSYNODOS JOURNALの片瀬久美子氏の記事「あやしい放射能対策」にまとめられているので、そちらを参照していただきたいのですが、「味噌や玄米、塩などが放射線の害を防ぐ」というマクロビオティックから「細菌が放射能を無害な状態に変換する」という EM 菌、その亜流らしい「米のとぎ汁が効く」というものまで、人間の想像力の豊かさを示す多彩な「学説」が華開いています。

 上に示したような、すぐにそのおかしさを指摘できる珍説もあれば、実証実験を待たなければ白黒付けられない微妙なラインに位置するものまで、レベルは様々ですが、ともあれこうした怪しげな健康法が、文字通り雨後の筍のように現れては人々の不安な精神につけこんでいます。

 一方で、こうした科学的に効果の実証されていない健康法を擁護する人々もいます。その代表的な論法の一つが、「中には本当に効く療法がある」というものです。

 最近、ツイッター上で、その効果が科学的に証明されていないとして、さまざまな「療法」を否定する動きが広がっている。そうした批判の多くは、こうすれば放射能を防げますとか、こうすれば病気を予防できます、直せます、などという話をする人たちを、科学の観点から一刀両断にする。

 私はそうした「科学的立場」からのなで切りにどうも違和感を覚える。というのも私自身、そうしたいわば「非科学的」療法に救われた経験があるからだ。

 もちろん、いわゆる「民間療法」の中に、本当に効く「当たり」が含まれている可能性はあります。まだ科学的にが証明されていないだけで、埋もれている効果的な療法がある可能性はある。どんな場合でも「まぐれ当たり」というのはあるものです。民間療法に対する懐疑派も、その点を否定しているわけではありません。懐疑派の主張はただ、「立証責任は療法の効果を主張する側にある」という点だけです。

 民間療法の肯定派は、しばしば、懐疑派に対して「効かないという証拠を出せ」と迫ります。でもこれは間違っている。本当は、「効くという証拠」を提出する義務が、肯定派の側にある。これは、裁判において容疑者を有罪にするためには、「犯罪を犯した証拠」を提出する義務が検察側にあるのと同じです。もしも、「犯罪を犯していない証拠」を出さなければ無罪にならない、という「推定有罪」の原則で裁判が行われたら、明らかにアリバイがある者を除いて、ほとんどどんな容疑者でも有罪にすることが出来る。これでは誤審率は跳ね上がらざるをえません。それ以前に、有罪になる人間が多すぎて刑務所がパンクするでしょう。

 これと同じことが、科学にも当てはまります。民間療法は次から次へと荒唐無稽なものが現れます。放射能対策一つとっても、そのバリエーションは無限に近い。「米はダメでも麦汁は効く」とか「あきたこまちはダメでもひとめぼれは効く」とか。その一つ一つについて「効かないという証拠がない限り、効くと見なす」という態度で臨んでいたら、この世はユニークな健康法で溢れかえることになります。

 さらに、もしこういう怪しげな療法を考え出す人間にちょっとした狡さがあれば、容易には反証できないような健康法を考えるでしょう。これはそんなに難しい話ではありません。「この聖なる水の成分は現代科学では分析できない」とか言ってる悪徳業者は今でもいます。この反証不可能な仮説の馬鹿らしさをうまく現したのが、バートランド・ラッセルの「天空のティーポット仮説」です。

 もし私が地球と火星の間に、楕円軌道を描きながら太陽の周りを公転している中国のティーポットが存在する、と主張したらどうだろう。しかも、注意深くそのティーポットはとても小さく、どんな高精度の望遠鏡でも見ることは出来ない、と付け加えておけば、誰もこの主張を反証できまい。
 ("Is There a God?"

 「ティーポットは存在しない」 ―― 「いや、それは存在する。ただ見えないだけだ」。この反論は完璧です。誰もこれ以上攻め込めない。唯一の欠点は、これが完璧すぎることです。この論法を認めれば、私たちは、ティーポット以外にもあらゆる検出不可能なものの存在を認めないといけない。

 「空をモンスターが飛んでいます。見えませんけど」
 「宇宙人が私に交信してきました。他の人には聴こえませんが」
 「神様の声を聞いたんです。証明はできませんが」
  ・・・・・・

 普通の人ならこの「仮説爆発」には呆れてしまうでしょうが、少なくとも、民間療法について「効かない証拠がない以上は有効と認めるべき」という立場をとる人は、この豊穣な仮説の世界に住んでもらう義務がある。自分の好きな仮説だけ贔屓して「真理」と認め、他の同等の資格を持つ仮説ははじき出す、というのは卑劣なダブルスタンダードです。「麦汁は放射能に効く」という仮説も「犬の糞は放射能に効く」という仮説も、平等に愛していただきたいと思う。