アンフェアなのは誰か

 今日の白昼に起きた秋葉原の通り魔事件は、私もよく知っている場所だけに、衝撃的でした。別に危ないところにでかけなくとも、普通の人々が普通の生活をしている中で危険に出会う確率が格段に増したリスク社会がいよいよ本格的に到来したのだ、という恐怖をまざまざと味あわされる事件でした。以前のエントリでも書いたとおり、これはほとんど、私たちは強制参加のロシアン・ルーレットをやっているに等しい。ゲームから降りるチップ代を払わない限り、誰の身にも「平等に」当たりの可能性はある。でもこれは、本当にフェアなゲームなのか?

 事件について秋葉原で商店を経営する人がコメントしていたとおり、最近の秋葉原には、それまで秋葉原には来なかったような外部の人々が急速に流入するようになっています。それはそれで、街を活気付ける良い効果も生んでいる。でも、これまでならお互い生活圏を住み分けて避けられていたはずの衝突が不可避のものとなっていることも、また事実の一側面です。

 さて、私たちは、リスクの増大を背負ってでも人・物・情報の交流のスピードを促進させるのか(それはすなわちグローバリズムの流れを速めることを意味する)、それとも前近代的な地域社会に逆戻りするのか。そろそろ、覚悟を決めて選ばなければならないときが来ている。選ぶ前に不幸にも流れ弾に当たってしまうことが、恐らく最も不幸なことです。