選択可能性と差別

 最近、企業の新卒採用活動に色々とユニークな動きが出てきています。ユニクロが大学生の学年に関係なく通年で採用活動を行うことを表明したと思ったら、今度は 100 年近く続く出版社の老舗岩波書店が、応募要件として社員や著者の紹介状が必要なことを宣言して、厚労省が調査に乗り出すことになりました。

 ユニクロはおいておくとして、岩波書店の判断のどこに厚労省は問題をかぎつけたのでしょうか。それは言うまでもなく、岩波がいわゆる「縁故採用」を認めたのではないか、と疑っているのです。

 縁故採用というのも曖昧な言葉ですが、これが問題になる場合の定義は、ある会社に就職する条件として、そこの社員の子供であったり縁戚であることが求められるような場合です。これが社会的に許されないのは、血縁という属性を個人が選択できないからです。誰かの子供に生まれることは、当人に選べるものではありません。

 最近は、人材派遣会社から人を紹介してもらうとき、受け取る履歴書には性別、年齢、名前といった属性は一切記述されていません。職務に必要な能力を推し量れるだけの職歴と資格だけが淡々と記載されています。もちろん写真も貼ってありません。これは、性別(セクシズム)、人種(レイシズム)、年齢(エイジズム)といった、選択不可能な属性による雇用差別を防止するためです。極めてフェアな措置と言えるでしょう(名前まで伏せるのは、もちろん大半の人間は名前から性別が推測できるからです)。

 縁故採用も、これら選択不可能属性による雇用差別と同類なわけですが、ちょっと話がややこしいのは、今回の岩波書店のプランが厳密な意味での縁故採用ではないからです。岩波書店も反論しているとおり、「社員か著者の紹介状が必要」と言っているだけで、それ自体は血縁者でなくても可能です。もちろん、縁戚関係の人間が有利なのは間違いありませんが、むしろ、事前に条件を明示しておいてくれれば、コネのない学生でも大学4年間で色んな著者や社員にアタックを繰り返して紹介状を準備できる。つまり、一次試験の期間が4年間あるとも見れるわけです。合格条件が明確なだけ、親切とも言える。

 しかも、その活動をする間に色んな人と知り合いにもなれるわけで、そうして作り上げた「コネ」は入社してから編集者の仕事をする上で必ずや役に立つでしょう。学生を鍛えるプロセス(そして採用コスト削減)も計算しているのだとしたら、なかなか戦略的です。逆に言うと、「編集者になろうというのに、そのぐらいのガッツもない人間はいらない」と言っているわけです。

 そのようなわけで、私は今回の岩波書店の宣言は、決してアンフェアな精神にもとづくものではないと思います。合理的ですらあると思う。中には、リベラルの牙城である岩波が縁故採用を明言するとはけしからんと怒る人もいるようですが、すでに説明したように、それは岩波書店の意図するところを正確に理解していない。

 また、民間企業の採用方針というのは、本質的にその民間企業の責任において自由に選べばよいものです。もし企業の採用方針によって無能な人間ばかり入社すれば、それで損をするのは当の企業です。社会が監視すべきは、企業が選択不可能属性による雇用差別をしていないか、という一点だけです。厚労省は今回、それを心配しているのでしょうが、本当の縁故採用をやっていた過去でも出てこない限り、調査は空振りに終わるでしょう。