蟻と象の闘い『芸能人はなぜ干されるのか?』

芸能人が芸能事務所から独立や移籍を図ろうとするニュースが流されるとき、必ず枕詞のようについて回る言葉がある。芸能関係者による「事務所からの独立や移動はこの業界のタブー」というやつです。このルールは、普通に勤め人をしている人間が聞くと「業界の慣習」と呼んで片づけるにはあまりに奇異なものです。普通の会社員であれば会社を辞める自由も転職の自由もある。もちろん芸能人は個人事業主として事務所と契約しているだけですが、個人事業主こそ自分の意志で取引先を変える自由は法的に保証されている。

実際、法的に何の問題もないからこそ、ことあるごとに芸能人は独立や事務所の移籍を試みようとするのです。しかし、事務所は決してこれを許そうとしない。当該の事務所だけでなく、業界全体として芸能人にそのような自由を認めないよう連動して動きます(そのための音事協という組織がある)。その結果、芸能人は独立を諦めるか、仮に成功しても、「干される」という苛烈な制裁を受けることになります。田原俊彦鈴木あみセイン・カミュ水野美紀松方弘樹沢尻エリカ・・・所属する事務所から自由になろうとしたことによって「干され」、その後のキャリアを妨害された芸能人は枚挙にいとまない。時には松方や眞鍋かをりのように裁判沙汰にまでなるケースもあります。最終的に勝訴するにせよ、長い法廷闘争のあいだ仕事の中断を余儀なくされ、世間から忘れ去られてしまうことも多い。事務所ともめているというニュースが流れただけでも、人気商売の芸能人にとってはダメージが大きく、事務所もそれが分かっているから強気に出てプレッシャーをかけてきます。

なぜ芸能界はこれほどまでに芸能人にとって不利な労働形態がまかりとおっているのか? もちろん、芸能事務所にとって、唯一の商品である芸能人がいなくなれば、廃業する以外にないのだから、事務所が芸能人の独立を阻もうとするのは当然のことです。芸能人に投資してきたのだから、回収する前に逃げられてたまるか、という思いもある。中には、芸能界の労働慣行を擁護するため「プロ野球だって似たようなものじゃないか」という話を持ち出す関係者もいるという。確かにプロ野球ではドラフトによって所属球団が決められ、選手の意志によって球団を移籍することができない。これは、興業である以上戦力均衡が求められるという理屈によっています。

しかしそのプロ野球ですら、FA制度の導入やストライキなど、選手の抵抗を組織化する選手会という労働組合を持っています。芸能界の問題の根幹は、このような芸能人が連帯して事務所に抵抗する手段が存在せず、個人で戦わざるをえない状況にあることです。個人と業界全体では、力の差がありすぎて最初から結果は見えている。おそらく法に問えば独占禁止法に抵触するような状態がまかりとおっている。

実際、芸能界の歴史は、自由を求める芸能人が各個撃破されてきた歴史といってもいい。芸能人の選択肢は、干されるリスクを承知で正面突破を図るか、独立をにおわせてそれを交渉材料に事務所に待遇改善を図るか、の二択です。後者をうまく利用した芸能人として、本書は木村拓哉を挙げています。今回は木村だけが残留を選択したと報道されていますが、かつては木村はSMAPの中で最も積極的に独立を画策し、身内に事務所を立ち上げさせたりしてジャニーズ事務所からの搾取を牽制してきました。

もしかすると、SMAPの他の面々も、木村のそういう駆け引きを参考にして、交渉カードに使う意図があるのかもしれません。本気で独立すれば、たとえ国民的な人気を誇る彼らであっても、苛烈な報復が待っていることは芸歴の長い彼らが知らないはずがない。芸能事務所は、一度甘い顔をすれば堤防が決壊するように他の芸能人に独立や移籍の波が波及することを知っており、全力で彼らを見せしめにするはずです。

こうした散発的な抵抗は、力関係から見ても芸能人に不利で、よほどの大物芸能人でないと対等には戦えません。泉ピン子のように完勝してしまうケースもあるとはいえ、これは泉がすでに芸能界に地歩を築いており、事務所が中小だったゆえの例外です。芸能人がまともな労働環境を手に入れるには、労働組合のような組織的抵抗を可能にする仕組みを構築するしかない。同じ芸能界でも、俳優のように歴史が古い業態は力のある労組を持っていますが、タレントや芸人の横の連帯は皆無に等しい状況です。「世界最強の芸能人労組」と呼ばれるハリウッドの労働組合は望めないにせよ、組織的抵抗を可能にする組織が作られないと、この問題は前に進まないでしょう。

実は、日本の芸能界においても、労働組合を立ち上げようとという動きは過去にあったのです。漫才ブームさなかの1982年、過酷なスケジュールの仕事を強いられて次々に体調を崩していく仲間の芸人を見かねた島田紳助が、自ら委員長となって労働組合を結成し、吉本興業と戦おうとしました。賛成に回った芸人には明石家さんま間寛平オール阪神・巨人阪神などがいました。紳助らは3月1日に吉本興業と団体交渉を行い、「週1回の休日をよこせ」、「賃上げ、ギャラ査定の明確化」、「健保制度確立」などの条件を掲げました。現代の水準から見ればどれも当然の権利と思われるような内容ですが、吉本側は「そんなに休みたければ一生休んでろ」とまったく取り合わず、交渉は決裂します。

こうして「紳助労組」は失敗に終わったものの、その後芸人たちが自分の労働条件について吉本と交渉するという下地ができた点で、この運動は芸人の間では評価されているようです。紳助というと、一般には暴力団関係者との交際が発覚して引退したダーティなイメージがつきまとっていますが、意外な一面を発見できたのも本書の収穫でした。