更改案件

 私が私淑する師匠の一人、池田信夫さんがメディアの取材で雇用問題について語っています。要点としては、普段彼がブログで語っている「正社員の雇用規制緩和と人材流動化こそ、見かけに反して本当の雇用対策」というものなので、新味はありません。こないだ「興味を持って調べている」と語っていたデンマークFlexicurity のネタも早速しゃべっている。

 日本の正社員が法的に保護されていて、クビをきるのが難しいことは、OECD の報告にあるとおりの事実です。だから私も、基本的に氏の意見は正しいと考えています。しかし池田さんは、日本で雇用規制を緩和するために解決すべき周辺問題があることを(わざとかどうか知らないけど)言い落としている。

 あくまで仮定ですが、日本企業が今よりも簡単に正社員の首を切れるようになったとしましょう。すると、きられた当の労働者の受けるダメージは、一般に欧米諸国より大きくなります。なぜなら、住宅ローン扶養家族の養育・教育費があるからです。

 まず住宅ローンについて。当然ですが会社をクビになってもローンは免除されません。銀行はそんなに甘くないので、収入はなかろうと払いつづけなければならない。仕方ないから持ち家を売り払ってひとまず賃貸に戻るか、と思っても、日本では中古住宅の価格が非常に安いため、ローンを相殺できないケースが多い。アメリカはじめ欧米諸国では、一般的に住宅の価格は中古になっても大きく下がりません。だから最悪、売ればローンと相殺できるのです(サブプライム・ショック後は状況が変わっているかもしれない)。

 また扶養家族 ―― つまり子供や(専業主婦の場合は)妻、老親 etc. ―― をどうやって食わせていくか、という問題も大きい。デンマークみたいに教育や介護が全部無料なら、大黒柱が無職になっても、一家が路頭に迷う心配はないでしょう。でも今の日本の環境はそうではない。お父さんが無職の期間が生じるや否や、一家の死活問題になる家庭は多い。生命保険も、病気や死亡には対応してくれても、まさか失職の面倒は見てくれない(今後そういうサービスを増やすのは一案です。民間の失業保険)。

 だから、最終目標が労働力の移動が自由な社会にあることはそのとおりだとしても、一部分の制度だけいじるのは逆効果です。セーフティネットがないままクビだけ切られやすくなったら、多くのサラリーマンは地獄を見るでしょう。影響を受けないのは、ローンも扶養家族も持たない一匹狼の独身貴族だけです(あれ、そうすると非婚率も上がるかな)。

 この問題を防ぐには、他のサブシステムも合わせて「一気に」変更することです。それに、マイホーム主義(このイデオロギーは実に終身雇用と補完的だった)を打ち消して生涯賃貸でもいいんだよ、というふうに人々の社会通念も変えないといけないでしょう。これはかなり大掛かりなシステム更改です。IT 業界でも、更改案件は考慮するファクターが多いため新規案件より遥かに難しい。昔の不合理な制度にアドホックな変更を重ねているので、無駄に複雑なスパゲッティ・コードになっています。池田氏には、そこまで考えた上でのグランド・デザインを見せてもらいたい。われらが池田信夫なら、そのぐらいは期待してもいいはず。