実在するとは別の仕方で:『ザ・ライト』

 エクソシスト(悪魔祓い師)という職業は、その名前からタイトルを取ったホラー映画『エクソシスト』(1973)の存在もあって、悪魔に体を乗っ取られた人々の体から、宗教的儀式によって悪魔を追い出す「祈祷師」としてのイメージはよく知られています。このように書くと、日本では何だかイロモノ新興宗教みたいな受け止められ方をしますが、実際は、エクソシストはれっきとしたカトリックの司祭が行う職能です。ヴァチカンには年間数十万件の悪魔祓いの依頼があるという。本作は、こうしたエクソシストの実際の仕事ぶりを、実話を元に再現した作品です。タイトルの Rite は宗教上の儀式を意味しており、エクソシズムの儀式と、主人公が成長するための「試練」をかけています。

 主人公の一人マイケルは、実家の葬儀屋を継ぐのが嫌で、学費がタダという理由から神学校に入った不信心な若者。女性ジャーナリストに「無神論と別れられると思う?」と訊かれて「別れても何度でもヨリを戻しそうだ」と答えるほど信仰心は薄い。この不埒な若者を一人前のエクソシストに育てあげるべく導く先生が、凄腕のエクソシストとして一線で活躍するルーカス神父(アンソニー・ホプキンス)です。

 ルーカス神父はマイケルに、エクソシストとして重要な心構えを色々教えますが、中でも彼が真っ先に教える重要な教義が、「存在には階層がある」ということです。マイケルは、悪魔に憑りつかれた(と本人は信じている)人々を見て、「精神疾患ではないか」と疑います。そしてルーカスに「彼らに必要なのは、神父ではなく精神科医です」と進言する(私も映画を見ていてそう思った)。ここで、普通の神父なら「何を言う。あれは悪魔の仕業に間違いない。悪魔は実在する」と強固に主張するのでしょう。でも、ルーカス神父はそういう篤信的なことは言いません(彼自身、信仰を失うことがある、ということを認める「異端」の神父です)。

 ルーカス神父も、エクソシストのところにやってくる「対象者」の中に精神疾患を病んでいる人が混じっていることに同意します。そうした人々には信仰より薬の方がずっと救いになる、と。それでも、悪魔に憑りつかれたと信じて、それによって現実に心身に失調を来たす人は大勢いる。そうした人々に対して、科学的治療は有効に作用しない。そのように、人間が悪魔の実在を信じ、その影響を受けるという意味において、悪魔は確かに存在しているのだ ―― ルーカス神父はそのような存在論を展開します。「懐疑論者や無心論者は悪魔が実在する証拠がない限り、実在は認められないという。だがそんなことを言っても無意味だ。悪魔は存在して、事実我々に害なすからだ。」

 このルーカス神父の言葉は、哲学者レヴィナスを思い出させる。彼は「死者は実在しないが、しかし別の仕方で存在する」と言いました。死者の体はもうどこにもない。その声を聴くことも、体に触れることもできない。その意味で、死者は確かに実在していない。それでも、死者たちは私たちに影響を与え(affecter)続ける。私たちは死者を意識し、彼らに対して有責性を感じ、葬儀や鎮魂の儀式を行う。死者があらゆる意味において存在していないと言い切れるなら、なぜ生者はそんな「無駄な」行為に勤しまなければならないだろう? 私たちが影響を受けるという事実こそが、彼らが「実在するとは別の仕方で」存在している揺ぎない証拠である……。これは、ルーカス神父の悪魔に対する認識と非常に近いものです。

 この観点から見ると、エクソシストの仕事が、世界各地の様々な宗教人たちが独自に行ってきたシャーマン的治療 ―― それはかつてキリスト教が熱心に潰してまわったものでもある ―― と同じ機能を担っていることが分かります。日本でも陰陽師に代表される、いわゆる「拝み屋」的職能は昔からありました。宗教という物語を共有することで、その物語の中に入り込み、ストーリーを上手く組み替えることによって、失調を来たした「対象者」の心のバランスを取り戻す。自らの絶対的価値を主張するキリスト教は、こういう相対化を嫌うでしょうが、でもキリスト教の外にいる私の目には、エクソシストの仕事と、未開部族のシャーマンの仕事は同じものに映る。それはどちらも、現実に有効に作用するという一点において、一種の治療なのです。心身の失調に苦しむ当人にとってみれば、厳密な説明を行うけど苦痛を取り除いてくれない科学よりも、悪霊が憑依した、将門の祟りだ、森の精霊のせいだと怪しげなストーリーテリングを展開しながらも、心のバランスを回復してくれる宗教の方がずっと有用なのは間違いありません。

 そして、このような方向に考えを進めると、エクソシスト、および彼らの属する宗教にとってあまり嬉しくない一つの仮説が浮かび上がってきます。それは、「エクソシストってマッチポンプなんじゃないの?」というもの。悪魔憑きという現象は、キリスト教を信じていない人には無縁です。「佐藤さんとこの娘さん、悪魔憑きになったからエクソシスト呼んだらしいわよ」「まあ、怖いわね・・・結婚が近いって話だったけど、これで破談かしら」という会話が日本の主婦の間で交わされることはありません。日本では、そういう人は精神科行きです。宗教というのは信者を煽って不安にさせておいて、その不安を取り除くビジネスをしているという・・・言い方は悪いけど、火を放っておいて「火消しは任せろ!」みたいなところはある気がする。

 本作の演出は控えめで渋く、悪霊がバンバン飛び回ったり、神父が奇蹟の力を発揮するシーンもありません。ルーカス神父も初代『エクソシスト』を意識して「首がぐるんと回ったり、緑のゲロを吐いたりすると思ったか?」と挑発的なことを言う(この言葉はエクソシズムの儀式を見て拍子抜けしたマイケルに向かって言っているのですが、もちろん本当は観客に向けた言葉です)。代わりに、ホプキンスはじめ、悪魔に憑かれた「対象者」役を演じる人々の体を張った演技には圧倒されます(特に、悪魔に憑かれた妊婦ロザリアを演じたマルタ・ガスティーニは、私はこの女優さん知らなかったけど、素晴らしかった)。SFX を一切使わないことが、逆に不気味な迫真性を出していて、私は非常に引き込まれました。

 評価は星5つ中の 4.5 。ほとんど完璧に近い作品ですが、唯一、最後にマイケルが結構優等生な神父に落ち着いちゃうのが残念で、0.5 減点。