初代アンドロイド:ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』


 理想の女を追い求めて破れる男、というのは、古今東西、文学に繰り返し現れるテーマです。ビッグネームだけを追ってみても、古くは『源氏』、近代には『ファウスト』という古典を挙げることができます。前者の主人公は幼女誘拐&監禁飼育という現代のアダルトゲームもかくやというロリコン趣味を遺憾なく発揮するし、後者も悪魔の手を借りて若い娘を妊娠させた挙句、死刑台に送るという鬼畜ぶりが素敵です。森鴎外の『舞姫』なども、この類型に属する作品と考えてよいでしょう。世の名作には「男の身勝手さ爆発もの」が意外に多い。

 科学技術が急速に発展しはじめる 19 世紀後半になると、生身の女を追いかけては幻滅する負のサイクルに懲りた男たちは、科学の力によって理想の女を作り出す作戦にシフトします。美しい肉体と清らかな心を持ち、決して老いることのない女神 ―― アンドロイド文学の誕生です。本書が史上初めて用いた「アンドロイド」という言葉は、もともとが「女性の人造人間」という意味なのです(だから、アンドロイド携帯を擬人化した「花のアンドロイド学園」の解釈は「マジキチ」とけなされるようなものではなく、むしろ正統的です)。

 本書は、イギリスの美貌の青年貴族エワルド君が、当代随一の発明家エジソンの家に悩み相談にやってくるところから始まります。彼は、自殺を考えるぐらい思いつめているのですが、その悩みの種というのが、付き合っている美人の彼女(アリシヤ)のことです。まあ色々ぐだぐだと抜かすのですが、今風に要約すると「彼女がビッチで困る」ということです。

 といっても、現代の我々と当時の貴族のお坊ちゃんとの感覚は大分ちがいます。エワルド君は、彼女の心がいかに汚れていて浅ましいかを口をきわめて罵倒するのですが、別に浮気性のヤリマンだとか浪費癖があるとか、そういうレベルではありません。自分とつきあい始めたときすでに処女じゃなかったとか(そう、エワルド君は「処女厨」です、中古女が大嫌いです)、教養がなくて美術館に連れて行ってもつまらなそうにするとか、せいぜいその程度です。

 むしろこのアリシヤというのが、生まれは貴族の出なのですが、婚約者との恋愛がうまくいかなくて家にいずらくなって、家を出て女優として一人食い扶持を稼いでいこうとする、かなり自立心旺盛な才女です。でもそういう進歩的な女性を、男は嫌いなんですね。よく日本男性は自立した大人の女性が嫌いだと言われますが、ヨーロッパの貴族もそうなんです。男は、バカでかわいい女の子が大好き。

頭の単純さというものを全く持合せていない女などは、怪物以外の何物でしょうか。≪才女≫と呼ばれるあの厭わしい存在ほど、人の心を暗くし世を毒するものは他にありますまい。

 女性から見れば「お前のくだらない女性蔑視に付き合ってられるか」という感じのエワルド君ですが、彼はマジです。エジソンの家を出たら自殺すると思いつめています。その姿にいたく同情したエジソンは、彼に、あと三週間だけ生きなさい、と言います。そうしたら、私があなたに生きる希望を与えてみせます、と。

21 日後の同じ時刻、この場所に、ミス・アリシヤ・クラリーは、面目を一新し、世にも魅惑的な≪伴侶≫となり、世にも尊い精神的気品をそなえているばかりか、一種の不滅性まで身にまとって、あなたの前に姿を現すことになるのです。――要するに、目の眩むほど美しいあの愚劣な女が、もはや女ではなくなって、天使になるのです。情婦ではなくなって、恋人になるのです。「現実」ではなくなって、「理想」になるのです。

 エジソンもなかなか言うでしょう。現実のエジソンがどういう女性観の持ち主だったかは知りませんが、作中の彼は筋金入りの女嫌いです。彼は、友人の人品卑しからぬ立派な紳士が、外見だけが取りえのしょうもない女に引っかかって身を持ち崩してしまった苦い経験から、恋を「病気だ」と言い切ります。その病気の治療のために生み出したのが、世界初のアンドロイド「ハダリー」です。古代ペルシア語で「理想」という意味だそうです。
 エワルド君は、アンドロイドなんて所詮、心のない肉人形だと思って、エジソンのアイデアに懐疑的ですが、エジソンは自らの作品の出来栄えに自信満々です。

失礼ですが、≪誰かがこの肉体からこの魂を取除いてくれないかなあ≫とお叫びになったときの御希望にこれこそぴたりと一致するわけではありませんか。あなたの恋人のミス・アリシヤと全く同一で、その恋人があなたを悩ましているらしい意識だけを取除いた、そういう一つの亡霊を、あなたは呼び求められました。そこで、ハダリーがあなたのお呼びかけに応じてやって参りました。それだけのことです。

 やがてエワルド君も、ハダリーの示す気品、繊細な気遣いといった「女らしさ」に感銘を受けて、彼女を生涯の伴侶とする決意をします。なにしろエワルド君は、アリシヤとこっそり入れ替わったハダリーに気付かなかったくらいなのです。彼は、贋物の肉体と贋物の知性と贋物の感情しか持たないハダリーを抱きしめて、本物の愛情を注ぐことを高らかに宣言します。二人が熱い抱擁を交わすシーンには、人を感動させる迫力があります。ハダリーの側も、生命を持たぬ人形でありながら、人間を超えた感情の奔流を示すこのシーンは、圧巻です。

わたくしの失うすべてのものをあなたは失っておしまいになる。わたくしのことを忘れようとして御覧遊ばせ、いいえ不可能でございます。あなたがわたくしを御覧になるような眼で「人造人間」を眺めた人は、自分の中の女性というものを殺してしまったのでございます。何故かと申すに、陵辱された「理想」は容赦致しませんし、およそ神に戯れる者は誰一人神罰を免れ得ないのですもの!

 こんな魂の叫びを美しい女性から聞かされたら、エワルド君でなくても、たとえそれが人造人間であろうと抱きしめずにいられる男は、確かに少ないかもしれない。この作品以降、男たちは生身の人間を追うことをやめ、アンドロイドに夢(ここでは「身勝手な欲望」と同義)を託すことを覚えます。特に SF のジャンルでは『ブレードランナー』をはじめ、アンドロイドとの恋を描く作品が数多く出現することになります。最近の初音ミクボーカロイド)の流行も、その流れを受け継いでいます。ある女性研究者は「日本のヒューマノイド開発の対象は初音ミクや美少女ばかりで<都合のいい女>を競って開発するような環境に馴染めない」という感想を漏らしたそうですが、その印象は本質を捉えているのです。男性は歴史上いつでも女性に「都合のいい女」という幻影を追い求めてきました。バカみたいだと思うでしょう? でも、男も少しは賢くなったんです。生身の女性を追っても傷つくだけであることを学習するぐらいには。

 私たちはいま、機械に幻影を追って疾走している。手は、もう少しで届きそうだ。

幻がなければ、一切は消滅します。それは避けられません。幻、それは光明です!