ルーレットを回す者

 大問題になっている中国製餃子問題は、どうやら人為的な犯罪の可能性が高くなってきたようです。日中の捜査体制が不整備なため、今後の展開を不透明にしていますが、当面は警察と政府に頑張ってもらうしかない。

 今回の農薬混入や少し前に騒ぎになったBSE問題など、現代の危険に特徴的なのは、「普通の生活をしている普通の個人」にも予期せぬ危険が降りかかるようになった、という点です。ウルリッヒ・ベック山田昌弘の予見したリスク社会が、いよいよ私たちが肌で感じるまでに実体化してきた、という恐怖を感じます。

 昔は、自分で敢えて危ない行為を選択しない限り(そういう選択をする人間はいつでも少数派)、閉鎖的で狭い共同体で一生を終える「普通の個人」に予期せぬ危険が降りかかることは、まずありませんでした。せいぜい不幸な事故や病気ぐらい。でも現代では、「冷凍食品の餃子を買って食べる」とか「アメリカ産の牛肉で焼き肉をする」という、ごく普通の行為が、時に致命的な結果を招く。

 これは通り魔事件にしてもそうです。昔は、自ら繁華街などの悪所に出向かない限り、通り魔に遭遇することはなかった。だから、普通の住宅街にオートロックやセコムみたいなセキュリティの必要もほとんどなかった。私の田舎でも、鍵をかけず窓を開け放って出かけるのは、かつて当たり前でした。今は、普通の住宅街で普通に暮らしていても通り魔にあったり「一家惨殺」にあう確率は有意に増えた。

 私たちが突入しつつあるこういう形態の社会を、ベックら先見的な社会学者は「リスク社会(危険社会)」と呼びました。その特徴は、まず第一に、危険が「確率的」に降りかかる、ということです。実際、私たちは全員でロシアン・ルーレットをやっているようなものです。餃子のどれかに致死量の農薬が入っている。そしてそれをみんなで「せーの」と食べれば、「誰か」が当たる。それは、私かもしれないし、あなたかもしれない。

 第二の特徴は、ゲームへの参加が強制されること。「お、おれはいいよ、そういう危ないの。怖いし」と言って逃げる臆病な選択(ほとんどの人は臆病者だけど)が許されない。「全員公平に参加」がこのゲームの基本ルールです。というか、実は私たちはゲームに参加していることさえ、最初は知らされていない。まさか誰も、牛肉や餃子が危険なんて思わなかったでしょう?

 でも、実はこのルールには特例があって、自分がゲームに参加させられていることを自覚した後なら、降りる「チップ」を払えば、ポーカーみたいにゲームを降りることができる。例えば、少し値ははるけど国産の牛肉や餃子を買うとか、セキュリティの厳重なマンションに住むとか。俗に「安全を金で買う」と呼ばれる行為は、このチップを払うことに相当します。チップと呼ぶには高すぎる場合も多いけど。今後おそらく、富裕層はますます安全を金で買うようになるでしょう。するとゲームに参加する(させられる)人々は、平たくいって貧乏人ばかりという方向へ進んでいく。住む場所も、富裕層と貧困層で完全に分断され、日本にもアメリカ並みのスラム街が誕生するかもしれない。嫌な話だけど、その可能性は十分ありえます。

 こういう流れに対しては、多くの人が漠然とした不安を抱いてはいるけど、でも「グローバリズム」とか「全員フェアに参加」という建前に反対できるほどの対抗軸がない、というのが実情でしょう。私個人は、かつて私たちがせっせと破壊してきた中間共同体を再構築してリスクを吸収してもらう「保守回帰」が現実的だろうと考えていますが、これはまた今度の機会に話しましょう。