ロシアン・ルーレット再び

 焼酎や煎餅の原料になる米に、カビや病気にやられた廉価な事故米が混入しており、それが全国の消費者の口に入っている疑いがある、というニュースが報道されています。特に、カビの毒素で強い発ガン性を持つ米が混入しているというのは、かなり寒気のする話です。私もあなたも知らないうちに食べていたかもしれない。中国ギョウザのときにも書いたことですが、この「国民全員参加のロシアン・ルーレット」が、リスク社会の典型的な現れ方です。

 この事件も、事件として成立してしまうまでに幾つかの重要なファクターが絡んでいます。そのうちの一つでも欠けていたら、防止されていたことでしょう。例えば、ミニマム・アクセスという輸入義務がなければ、そもそも事故米が日本に入ってくることはなかった。でも報道の中で一番強調されていたのは、農水省がこれまで問題の業者に何十回も立ち入り検査をしていながら、長い間悪事を見抜けなかった、ということだったように思います。

 まあ、これだけ聞けば、検査が杜撰だったんだろうという印象を受けます。でも、とにかくそれだけの数をこなしている、ということを考えれば、農水省にしても決して仕事をサボっていたわけではないでしょう(実際にはやってなくて結果だけでっちあげていれば話は別だけど)。小さな政府を指向して公務員の数を減らし給料も据え置けという流れの中では、やれることにも限界がある。弁明していた担当官僚の顔にも「こっちだって生身の人間なんだから、やれることには限界がある」という疲れた本音が、口には出さずともにじんでいたように見えました。何でもかんでも中央官庁に押し付けて超人的な働きを期待するのは、現実的な話ではありません(かといって、みんな今さら官僚の数増やして給料上げる「大きな政府」路線に逆戻りするのも何となくいけすかないでしょ)。

 だから、リスク社会で重要になるのは、まず第一に、私たちがどの程度のリスクならば引き受けてよいか、という定量的な合意を取り付けることと、第二に、具体的にどの程度のリスクが発生するのか見極めることです。今回の件だって、報道の力で、みんな自分が発ガン性物質を大量に口に入れてしまったようなイメージを持ったかもしれないけど、いざ調査してみたら無視できるぐらいの影響かもしれない。まあ何につけ、現象の多くが確率的な存在になるリスク社会では、こういう一人歩きするイメージが一番の大敵なのです。