なぜ人々は選挙を棄権しないのか

 午前中、散髪にいくついでに投票を済ませてきました。今回の選挙は歴史的な転換点になるかもしれないだけあって、既に投票者が結構な列を作って並んでいました。投票率もかなり高いものになるでしょう。投票日ということで、今日のエントリではこの「投票」という行動について考えてみたいと思います。

 唐突ですけど皆さん、何で投票に行くのですか? 馬鹿にしたような質問と思われるかもしれませんが、でも私には ―― 自分も投票に行っておいてなんだけど ―― 人々が投票へ行く動機が、正直分かりません。

 国民の義務だから? いや、そんなことはない。国民の義務として憲法で定められているのは教育・勤労・納税で、投票は含まれていない。オーストラリアやベルギーのように投票を義務付けている国ならともかく、日本では投票をさぼっても義務不履行にはなりません。

 とすると、よく選挙の CM で言われているように、自分の一票が政治を動かすから? それもちょっとありません。一票が死活的な重要性を持つのは、僅差で結果がひっくり返る場合だけです。普通、全国規模の選挙でそのような事態は滅多に現れない。よっぽど規模の小さい村とか学級会とかのレベルの選挙でないと(2000年の米大統領選挙はその例外的事態でした)。そうすると、一票の持つ重みは限りなくゼロに近い。一方、自分が休日の数時間を失う損失は厳然としてある。だから、大規模な民主主義においては、池田信夫さんも言うように「棄権は合理的な行動」です。

選挙の投票率が下がり続けているのは先進国に共通の現象だが、これには理由がある。1人の投票で選挙結果が変わることはありえないから、投票による限界的な利益はゼロだが、休日を犠牲にして投票に行くコストは個人が負うので、棄権は合理的な行動なのだ。(「インターネット投票が民主主義を変える」)

 よくメディアでは選挙のたびに投票率が低いことを嘆く論調を見ますが、これは根本的な考え方からして間違っている。投票率低くて当たり前なのです。黙って待ってたって、投票率は上がらない。上げるためには努力が必要です。「水と安全はタダではなくなった」と言われますが、投票率だってタダではない。商品を売ろうと必死に経営努力する企業のように、国も民主主義を維持するためには努力が必要だということです。

 さて、そうすると、投票率を上げるために、我々はどのような選択をとりうるでしょう。人の行動を制御する手段として、ローレンス・レッシグは法律、規範、市場、アーキテクチャという四つを挙げています。それに従って分類すると、次のようにまとめられます。

  1. 法律:オーストラリアやベルギーを見習って、投票を法律で義務付ける。もちろん罰則規定も盛り込む。これは強制力は強いけど、実現と運用のためのコストも高い。
  2. 規範:「投票に行かない奴は人間のクズだ。カタギじゃない」という社会通念を形成し、倫理的圧力をかける。選挙の CM は、トーンは弱いけどまあこれに近い。お手軽だけど強制力は弱い。実際、成果はあがっていない。
  3. 市場:投票に行くとお金をあげるようにする。あるいは税金の控除でもいい。強制力は法律、アーキテクチャについで三番目。運用のコストにはそこそこかかる。でも山形さんも言うように、500 円あげたら投票率は 90% 行くと思う。
  4. アーキテクチャ:問答無用で投票せざるをえない社会制度を作る。たとえば、棄権すると自動車の免許剥奪とか、会社や学校に登校/出勤したタイミングで入り口で投票させるとか。「法律」に近いやり方。強制力も法律と拮抗するが、コストもそれなりにかかる。

 ざっと選択肢を洗い出すとこんなところです。では、この中で現実的なのはどれでしょう。私としては「法律」か「市場」のどちらかだろうと思いますが、もっとうまいアイデアを持っている人がいたら、是非教えてください。

 そうそう。最初の疑問である「なぜ得にならないのに人は投票に行くか」という疑問ですけど、結局これに対する明確な答えを、私は持ち合わせていません。これもうまい説明を募集中です。