「SQL緊急救命室 第4回」が Web 公開されました

 技術評論社のサイトに「SQL緊急救命室 第4回」

 今回のテーマは「スーパーソルジャー病」です。優秀なプログラマが陥りがちな間違いの一つが、難しすぎるコーディングをすることです。もちろん高度なコーディングが必要とされる局面はあるのですが、テーブル設計を見直す方がずっと人生簡単だったりしませんか?

世界の DQN ネーム事情

 The Economist の記事より。("Baby names")

 DQNネーム、あるいはキラキラネームと呼ばれている名前があります。子供に付けられる、奇抜で読みにくいことを特徴とする名前のことで、大熊猫(ぱんだ)君とか今鹿(なうしか)ちゃんとか、結構な破壊力を持つ名前も多く、周囲の人は、学校でイジメの原因になったり就活で子供が苦労するのではないかと気を焼くのですが、親の方はどこふく風のようです。

 こういう DQN ネームは日本独自の文化として進化を遂げているのかと思いきや、どうやら世界的に見られる傾向のようです。例えば、ニュージーランドで却下された DQN ネームの一例:ルシファー、V8、アナル、キリスト。悪魔や救世主の名前が入っているのは、さすがキリスト教圏のお国柄です(そういえば日本でも DQN ネームブームの火付け役は「悪魔」ちゃんだった)。V8 は何のことかよく分かりませんが、V8気筒エンジンのことでしょうか。多分親がカーマニアなのでしょう。アナルは・・・まあいいや。ちょっと独特なのは、欧米では「89」とか「*」とか意味を持たない記号を名前にしようとする親が一定数いることです。これは、成人後に自分の意志で改名する場合にも見られるようですが、日本人にはない発想です。

name

 しかしまた、世界共通という点では当局の頭の堅さもそうで、世界各地で DQN 親 VS 石頭当局のバトルが繰り広げられています。各国が持っている新生児への命名規制には、例えば以下のようなものがあります:

  • デンマーク:受理可能な名前リストの中からの選択式。ホワイトリスト方式。
  • ポルトガル:禁止されている名前、受理可能な名前のそれぞれの一覧がある。ホワイトリスト方式とブラックリスト方式の併用。
  • アイスランド言語学の専門家からなる委員会が、変わった名前について裁定を行う。
  • ドイツ:多くの名詞や地名などを使うことが禁止されている。また「キム」のような性別が分かりにくい名前にも、当局はいい顔をしない。また、命名に悩む親に専門家がアドバイスをくれる(有料)。

 
 子供の命名というのは、『Economist』誌が言うように、極めて私的な行為です。従って、そこに公権力の介在を受けることに親が怒るのは当然の感情です。また、最近はこうした命名規制は緩和の傾向にあるという。フランスは 1993 年に受理可能なホワイトリストを廃止し、その 2 年後にはアイスランドが移民にアイスランド的な名前を名乗る要求をやめた。

 その一方で、名前が持つ影響力は思っていたよりも大きいということも明らかになりつつあります。変な名前を付けられたせいで周りから浮いたりいじめられたりする、というのは昔から言われている DQN ネームのデメリットです。2009 年には、米国ニュージャージー州の親が息子に「アドルフ・ヒトラー」と名づけようとして養育権を剥奪されましたが、こういうケースで親に同情する人は少ないでしょう。

 しかし、名前が持つ力はそれだけではありません。2002 年に行われた調査では、人は自分の名前に無意識のうちに影響を受けているという。デニス(Dennis)という名前を付けられた男の子は、ウォルター(Walter)という名前を付けられた男の子よりも、わずかに歯医者(dentist)になる率が高く、ジョージ(Georges)という名前の子は、地理(geology)を好きになるという。また、姓がアルファベット順で上位に来る研究者ほど、大学で良い職を得やすい(論文を連名で出版する際、著者をアルファベット順に並べるので目に付きやすいから)。

 現在、イギリスとアメリカでは、自ら改名しようとする人が増えているそうです。イギリスで改名手続きを助ける法律事務所では、10年前は 5000 件しかなかった申請数が、2011 年には 60,000 件に増えたという。ある人は親からの過大な期待から逃れようと、またある人はあまりに平凡な名前を嫌って改名しようとする。名前が持つ力が明らかになるにつれて、命名や改名に関連する市場もまた大きくなっていくかもしれません。

参考:金原克範『“子”のつく名前の女の子は頭がいい』

 姓名判断の本ではなく、社会学者である著者の研究論文がもとになっているれっきとした学術書です。「子」のつく女の子は頭がいい、という仮説をきっちり統計によって証明するだけでなく、その根拠となった社会の仕組みと変化についても優れた考察を行っている面白い本です。ただし、生まれてきた子供に「〜子」という名前を付ければ自動的に頭が良くなるわけではありません。それも本書を読めば分かるのですが、念のためご注意を。

公共事業としてのセンター試験

 先週の土日はセンター試験でした。受験生にとっては人生を左右する 2 日間だったでしょうが、センター試験というのは、見方を変えると巨大な公共事業という側面を持っています。受験生から集める受験料(検収料)だけでも毎年 100 億前後にのぼり、多くの人間とモノが動く一大産業を形成しています。

 一人 1万8000円も受験料を取っておきながら、採点結果を通知せずに学生に自己採点させる、トラブルが多いなど、高いわりにサービスが良くないという批判もあるようですが、正味な話、センター試験の 100 億円は何に使われているのでしょうか。

 センター試験を運営しているのは、独立行政法人大学入試センターです。同センターは、毎年財務情報を公開していて、Web 上でも直近 10 年の収支を見ることができます。

 そこで業務費の上位に来る支出項目を調べてみると、2010 年の上位三つは、監督者等経費(26億)、賃借料(19億)、印刷費(17億)が群を抜いており、これだけで業務費の約 60 %を占めます。賃借料というのは、おそらく会場を借りる費用なのでしょうが、グラフを見ると分かるように、この項目は 2009 年から急に増えています。この理由は、連動して「外部委託費」が増えていることと、対照的に「材料消耗品費」が減っていることから、運営業務を何らかの形で外部委託していることが関係しているのでしょう。




  
 「印刷費」は、問題用紙や回答用紙を人数分用意しなければならないので、安定的に高いのですが、経年で見ると減少傾向にあります。印刷会社の経営努力とデフレが原因でしょうか。ここを劇的に減らすには、問題用紙を全部 iPad にするぐらいのことをやらないとだめでしょう。

 しかし、なんと言っても支出における不動のチャンピオンは、「監督者等経費」です。人件費ですね。いやあ高い。これを見ると日本は本当に人件費が高いことが分かります。特にセンター試験では、大学教師を総動員するうえに、休日出勤&夜勤手当てを出さなければならいので、ちょっとやそっと他の支出項目が増えたぐらいでは王者の牙城は揺るがない(2008 年の「材料消耗品費」が寸前まで王者を追い詰めるいいファイトを見せましたが、一歩及ばなかった)。

 というわけで、「センター試験の受験料は何に使われているのか?」に対する答えは、「先生のアルバイト代」でした。これを減らすには、もっと安い人件費で可能な民間の人材派遣業者などを使う、英語の試験は TOEIC などで代用するなどの対策を取る必要があります。研究と教育が本務の大学教師に試験監督をさせるのも本末転倒な話なので、これは先生方の支持も得られる対策だと思います。センター試験民営化してコストが浮けば、米国の SAT のように年複数回実施するのも夢ではなくなります。

 「どうせ天下り役人が赤坂の料亭で飲み食いしてるんだろう」とか「退職金たんまりもらってるんだろう」という想像をした人もいるかもしれませんが、(そしてそういうのがないとは言い切れないのだけど)、少なくとも全体への影響という観点で見れば無視してよいレベルです。センター試験を安上がりに済ませる秘訣は、先生たちを雑務から解放してあげることです。

ヨドバシカメラとアップルストアの違い

 The Economist の記事より。("The cost of a free ride")

 皆さん、ネットショッピングはするでしょうか? する、という人たちにお聞きしたいのですが、こんな行動を取ったことはないでしょうか。

 まず、下見をするために、実物を置いてある店舗まで出かけていき、買おうとしている商品を眺める。家電など機能の複雑な商品なら店員に根堀葉堀スペックなど聞いて、他社製品との比較情報もゲットする。さらにあたかも買う気があると見せかけて店員に実演もお願いする。そして情報収集が完了次第、速やかに戦線を離脱する。背中に店員の視線が刺さるのを感じても気にしない。後は家でゆっくりとターゲット商品を最安価格で売っているネットショップを探す。

 白状すると、私もこれをやります(ごめんなさいヤマダさん、ヨドバシさん)。いちいち店舗まで出かけるのが手間といえば手間ですが、家電やブランド物の服やバッグなど、金額の大きな買い物をするときには十分ペイする行動ですし、ウィンドウショッピングそのものも気晴らしに悪くない。

 しかし、これはリアル店舗を持っている小売業者にとっては、頭の痛い問題です。そうした業者は、物理的な店舗、キラキラしたディスプレイ、商品知識の豊富な店員といったコストを負担しなければならない。それなのに、インターネット専門の販売業者は、そうしたコストを物理店舗に転嫁することで商品の価格を下げ、フリーライダーになっている。

2009年、イギリスのオンライン家電小売業者 Dixons は、大々的な広告を打った。その内容は、まず店舗でテレビや電子ガジェットを試してから、ウェブサイトでもっと安く買おう、というものだった。(皮肉なことに、Dixons の親会社は、当のオンライン・フリーライダーの犠牲になる物理店舗を経営している。)

 たまったものではない、というのがリアル店舗を持つ業者の本音でしょう。リアル店舗業者、オンラインショップ業者、消費者の三者のうち、リアル店舗業者だけが「一人負け」の状態です。そして、これは経済学的にもフリーライダー問題の典型であるため、リアル店舗業者とオンラインショップ業者の間での公正な競争を阻害する原因になっている。この状態を放置すると、最終的にはリアル店舗の採算が取れなくってどんどん閉鎖され、結局は消費者もオンラインショップ業者も損をすることになる。寄生虫は宿主が死ねば一緒に死んでしまうのです。

 2001 年に、アメリカの二人の経済学者がこの問題を解決する方法を提案しました("Economics and Electronic Commerce")。それが「ハイブリッド・ストア」です。

 この方法は、製品のメーカー自身がリアル店舗のコストを負担するものです。客は、その店舗で製品を試してみることができて、かつ、別にそこで買う必要はない。この方法の好例が、アップルストアです。アップルにとっては、客が自社の製品を買ってくれることが重要であって、どのチャネルから買うかは重要ではありません。従って、リアル店舗で製品をきれいにディスプレイしたり、有能な店員を配置するコストを負担するのに最も適任な主体は、実は製造メーカーだ、というわけです。(アップルストアの店員が、一般の小売店の店員と違って「買え買え攻撃」をしてこないのも、どこで買ってもらっても構わないからです。)

 最近では、自動車業界でもアップルストアのアイデアをまねて、自動車会社自身が市街地にショウルームを開くケースが増えてきているそうです。これは、フリーライダー問題を軽減する上手い方法だ、と言えるでしょう。

人に本当のことを言わせる方法

 昨年の大晦日、オウム真理教の特別手配犯になっていた平田信容疑者が警察に出頭するという事件がありました。このときの経緯は、平田容疑者は警察に出頭するも、イタズラだと思われてなかなか本人だと信じてもらえず、たらいまわしにされるという喜劇的なものでした。

 明けて 1月4日、レストランなどの口コミ投稿サイト「食べログ」に、順位操作を請け負う業者が存在しているというニュースが報じられました。食べログ側は、もし本当ならば法的対処も検討すると強い姿勢を見せるほか、消費者庁も調査に乗り出すなど、今後さらに大きな騒動に発展する可能性もあります。

 この両者の事件は、かたや警察、かたやネットビジネスと、全く異なる分野で起きたものですが、構造的にはよく似ており、共通の問題を提起しています。それは、「膨大なデータからノイズ(ゴミ情報)を排除するにはどうすればいいか」という課題です。

 警察は、平田容疑者への対応のまずさを認めて、今後は気をつけるという旨のコメントを出していますが、これはほとんど無内容なものです。というのも、現場の警官が最初、平田容疑者を言うことを信じなかったのは、こういうケースではノイズの確率が高いからです。警察へのタレコミや出頭、あるいは 110 番の電話などに寄せられる「情報」のほとんどはゴミです。だから、不運にも大晦日を署の宿直室で過ごしていた大崎署の警官が「え、お宅が平田信? あーはいはい。(本当はすっごく暇だけど)今忙しいんだよ。残念だな、せっかく名乗り出てくれたのに。そうだ、警視庁にいきなよ。あそこなら話聞いてくれるから」とあしらったとしても、仕方のないところです。

 一方、食べログでレストランをべた誉めしてランキングを上げる業者についても、話は同じです。この業者がなぜ迷惑かと言えば、その情報がノイズとなってランキングの信憑性を下げるからです。つまり、両者の事件は、いかにして本当の情報(シグナル)を増やし、雑音(ノイズ)を少なくするか、というSN比問題を提起しているのです。

 レッシグ四分類に従ってこの問題を考えてみると、以下の対抗手段を挙げられます。

  • 法律:ウソをついた人間を罰する。実際、裁判では偽証罪という形でこの方法を採用しています。平田容疑者のケースでは効果的ですが、食べログ問題への適用は難しい。少し頭の回る業者なら、あからさまなウソはつかず、良いところを強調し、悪いところは書かない、という戦術を採るでしょう。業者はウソをついたわけではない。
  • 規範:人々の良心に訴える。あまり効果はない。
  • 市場:ウソをつく人が損をし、本当のことを言う人には得をするような仕組みを導入する。例えば、今の日本の法律では、指名手配の容疑者が出頭しても、罪は軽減されないそうです。しかし、自首と同様に罪を軽減すれば、本物の指名手配犯が出てくる率が上がるかもしれない。また、Amazon がやっているように、レビュアーに対する評価システムを導入することで、人々に参考になるレビューを書くインセンティブを持たせる、というのも考えられます。
  • アーキテクチャ:ちょっと現実的ではないのですが、携帯できるウソ発見器でもあれば、警官もだいぶ仕事がやりやすいでしょう。米国には「顔を見ただけでウソを見破れる」と豪語する猛者もいるそうですが、どんなもんでしょう。食べログの場合なら、レビューコメントを全件検索して業者に特有の言語パターンを発見して分録するとか。まあちょっと難しい。

 私が思いつくのはざっとこんなところですが、もっと良いアイデアがあれば教えてください。

 なお、食べログ問題については、一部に食べログ(を運営するカカクコムグループ)を批判する向きがあるようですが、これは的を外した批判です。食べログ側が業者にお金を払ってやらせたわけではないのだから、食べログはむしろ SEO 業者に苦しむ Google と同じ立場の被害者です。また、食べログ側が意図しているような法的措置によってこうした業者を撲滅することは難しい。「やらせ」業者は、いわば SEO 業者や、売れないアイドルのイベントを盛り上げる「サクラ」と同じだからです。もし食べログ業者を違法とするなら、SEO 業者やサクラ行為も違法にしなければならない。それは現実的には難しい。やはり、ノイズを減らす仕組みを作って解決することが現実解のように思われます。

参考:青木理『IT社会の経済学』

 「1-3 ユーザ評価システムの実態」において、コンテンツのレーティングがうまく機能していない Youtube において、どのようにそれを改善可能か、経済学的な観点から考察しています(Youtube は別にヤラセに悩んでいるわけではないが)。本エントリを書くにあたり参考にさせてもらいました。

2012/1/22付記:アーキテクチャによる解決は現実的に難しいのではないか、と書いたその数日後、ステログというヤラセレビューを判定するサイトを作られた方がいます。いや凄い。まだ判定精度に問題があるようですが、でも私の予想が甘かった。こういう「技術を技術で撃つ」発想は素晴らしい。

フリーライダー化する女性たち

 職場に女性が進出するようになって以来、出産・育児休暇を取得する女性の職場での処遇というのは、常に論争の的です。特に、企業は規制によって出産を理由に解雇することができないため、女性には制度を悪用してフリーライダーになるインセンティブがあるのではないか、という疑念は、実証的とは言えないにしても、理屈としては分からなくもない。

 この問題には、少なくとも以下の三つの側面が指摘できます。

   ・労働市場における公平性の問題
   ・合成の誤謬による全体最適の阻害
   ・費用の負担者と便益の受益者のバランス

 まず公平性については、こと労働市場においては、出産および育児を行う女性は「弱者」の立場にある、という事実を確認しておく必要があります。最近では特に若い世代を中心に男性も育児に参加することが増えてきたため、かつてほど女性だけが育児を負担するわけではないにせよ、出産は現在のところ女性にしか出来ません。

 かつ、女性は別に望んで出産能力を求めたわけではありません。神様がサイコロを振って 1/2 の確率で子宮と卵巣を与えられただけで、本人の意思は介在していない。そのような自ら望んで得たのではない属性による採用時の差別や解雇は、人権侵害以外のなにものでもない。この「公平性」の担保が、産休制度の倫理的基盤です。解雇規制緩和の議論は、残念ながら妊娠した女性のクビを切るための根拠を提供しない。

 しかし、子供を産む産まないは本人の意思で決められることなのだから、出産を望む女性を解雇したり、採用しないことは、完全に差別とは言い切れないのではないか、という反論があるかもしれません。この反論に答えるには第二の問題である、合成の誤謬全体最適について考える必要があります。

 本音では、女性を雇いたくないと思っている企業は多い。『Economist』は日本ほど女性の力を浪費している先進国も珍しいと指摘していますが、企業の側にも合理的な理由があるのです。経験を積んで戦力となった女性が出産を機に一線を退くことは、教育投資をまるまる無駄にすることになる。そのようなリスクを恐れる企業が、戦力として安定性を期待できる女性よりも男性を雇いたいと考えることには、一定の合理性がある。しかし、もし全ての企業がミクロの合理性に従って、そのように男性または出産を諦めた女性しか雇わないことにした場合、何が起きるか。その状態を小倉秀夫弁護士は戯画的に「女性を雇う際は避妊手術を義務化する」と表現していますが、そのような社会は再生産機能を大きく損ない、数世代を経ずして消滅するでしょう。これは極端な思考実験だとしても、働く女性に妊娠を禁じることは、少子化に拍車をかけることはあれ、止めることはないでしょう。

 つまり、現在の労働法による女性の解雇規制は、放っておけば男性ばかり雇いたがる企業のインセンティブを修正して、合成の誤謬を防止する効果を持っているのです。子供は共同体の存続に不可欠な財です。子供が減ることはどのような企業にとっても潜在的な顧客と労働力の双方を失うことを意味します。従って長期で考えれば、企業にも女性の出産を支援する動機はあるのですが、その便益は社会に薄く分散して広がり、コストは企業にだけ集中するように見えてしまうため、短期的には女性を敬遠するインセンティブが働く。

 しかし、「妊娠した女のクビを切れ」派の言い分の中でも、一つだけ考慮に値する意見があります。それが、最後の問題である費用と受益のバランスです。現在の制度では、産休・育休のコストは、企業が負担している(つまり、職場に残された社員が負担している)。その結果、ある程度規模の大きい会社でないと、業務の継続性に影響が及ぶという事態も起きている。10 人程度の小企業では、たとえ 1人でも抜けられるとカバーが厳しい、というのも分かる話です。規模の小さな会社の社員ほど「不当に大きなコストを強いられている」と感じる。

 女性は社会全体のために子供を産み、育てるという。それなら、そのコスト負担は私企業ではなく社会全体で行うのがスジではないのか。具体的には、社員が育休に入るたびに国から企業に、損失補填金を出すべきではないか。そうしたら、企業の負担も規模によらず平準化され、企業ももっと、妊娠した女性に対して優しくなれる。職場に残って仕事を支えねばならない社員たちも、素直に「おめでとう」と言えるようになる。これは、一考に価する制度だと思います(財源の問題はあるにせよ)。もしかすると、もう実践している国や自治体があるかもしれない。

 いずれにせよ、女性のフリーライダーを敵視する人々は、敵を間違えているのです。子供を産む女性は、それだけで社会に貢献している(将来子供がニートや生保受給者になるとまた話はややこしいが)。もし彼女らがフリーライダーに見えるとしたら、それは費用と便益の関係を見誤っているか、正しく費用と便益を対応させられていない制度のせいなのです。

 それでも納得がいかない、という人には、女性のフリーライダー化を完全に防止する秘策があるのでお教えしましょう。それは、男性の給与を下げることです。できれば 200 万円以下に。妊娠して育休をフルに利用する女性は、当然ながら年収も相当低くなります。彼女は自分で稼ぐつもりなど毛頭なく(何しろフリーライダーだ)、間違いなく旦那の稼ぎをアテにしています。従って、旦那が自分と子供を養うことができないぐらいの稼ぎしか得られなければ、彼女は働かざるをえなくなります。どうです? 多くの女性が出産を諦めて鋼鉄の企業戦士になること請け合いの作戦です。フリーライダーを憎む経営者の皆様には、是非お勧めです。

階級社会アメリカ

 New York Times の記事より。("Harder for Americans to Rise From Lower Rungs"

 日本はいま、階層が二極化しているだけでなく、階層が固定化される社会に向かっていると言われています。親が貧乏だと、子供も満足に教育を受けられず貧乏なまま人生を終える。親が金持ちだと良い教育を受けられて、子供はもっとお金持ちになる。この「貧困の再生産」と呼ばれる問題は、格差問題における重要な論点の一つで、新春の NHK の討論番組「ニッポンのジレンマ」でも関心を集めていました(この番組は 1/7 再放送なので、見逃した人は録画の用意を)。

 この話をするとき、必ず参照点として持ち出される国が、アメリカです。アメリカン・ドリームという言葉に象徴されるように、アメリカというのは経済的な流動性の高い社会だ、というのがこれまでの通説でした。しかし記事では、複数の研究結果をもとに、その通説は最近のアメリカ社会には当てはまらなくなってきている、と伝えています。最近では、アメリカの経済的流動は、他の先進諸国と同程度か、それより悪い場合もあるという。

流動性が落ち込んだ理由の一つは、アメリカの深刻な貧困である。貧しい子供たちは人生の開始時から取り残される。もう一つの理由は、アメリカの企業が大学の学位を非常に重視することだ。普通、子供は親の学歴をなぞるので、この学歴偏重によって、家庭的バックグラウンドが重要になり、学歴のない人々の経済的上昇を妨げている。

 日本では、大学中退者のジョブズゲイツが活躍する「実力本位の国」というイメージの強いアメリカですが、記事が言うように、大勢としては日本以上に強烈な学歴社会であるというのは、よく知られた事実です。

 昨年アメリカから全世界に飛び火した「99%」によるウォールストリート占拠運動も、こうした階級固定化の流れと無関係ではないのでしょう。従来、格差を容認する保守派の言い分は、その格差は「フェア」なのだから倫理的にも許容される、というものでした。「誰にも成功のチャンスは平等に与えられるのだから、結果の格差は容認せよ」というロジックです。しかし、研究が示すように、成功するかどうかが生まれによって決まってしまうのだとしたら、機会平等という言葉は金持ちが貧乏人を貧乏な状態にロックインしておくための好都合な嘘でしかなくなる。

誰でも梯子を昇ることができる。嘘である。アメリカは平等でなければ流動的でもない。

 家庭的バックグラウンドという点で見ると、アメリカの貧困家庭にはシングルマザーが多いことも知られています(もちろん学歴もない)。子供たちが貧困から抜け出すには、こうした家庭の経済的支援および早期教育が重要であることは、ペリー就学計画の実証研究からも明らかになっています。

 アメリカがアメリカン・ドリームを回復できるかどうかは、保守派の嫌いな貧困層への再配分にかかっているということを、保守派は理解できるだろうか。