付加価値のありか

 アップルのお騒がせトップジョブズが健康問題で仕事を離れると公表しました。昨年から健康問題は取り沙汰されていましたが、アップルの今後はどうなるか予断を許しません。早速株価も急落しているようです。

 私は、これまでの人生でアップル製品を一度も使ったことがありません。IT エンジニアにあるまじき人間だと自分でも思うのですが、でも MaciPhoneiPod も私には遠い別の惑星の製品のように感じられて、食指が動かないので仕方ありません。欲しくない商品を買う義理はないもので・・・。とはいえ、この特色ある企業については、それなりに興味を持って眺めていました。

 私がアップルを面白いと感じるのは、IT企業でありながら、技術力で勝負しないところです。こう書くと往年のファンからは異論が出るでしょうが、でも最近の製品について見るならば、『Economist』にも述べられているように、例えば iPhone の部品は全て日本、韓国などアジア製、組み立ても中国で行われています(「Rising in the East」)。そういう 下流工程(lower-end)をアジアに任せて、設計のような上流の "sophisticated" な仕事だけを、アメリカ側が引き受ける。アップルの利益の源泉は、デザインのような美的価値と、ジョブズのカリスマ的なプレゼンという、多分に怪しいソースに多くを負っています。

 記事全体の主張は、うかうかしていると、そういう製造や R & D で地力をつけつてきたアジアの台頭に欧米はやられてしまうぞ、ということなのですが ―― アジアの「なかの人」としては「当分心配ないから安心して」と言いたくなるけど ―― さて、このアップルとアジアの構図を見ると、IT 業界の人ならすぐにピンと来たはずです。そう、これぞ日本の伝統芸能、IT 業界をスポイルしていると批判も喧しいあのゼネコン構造のグローバル版です。

 もっとも、上で「怪しい」と失礼な書き方をしましたが、デザインというのが馬鹿にならないのは確かです。人は「有用性」に対しては正当な対価を払いますが、「美しい」とか「クール」とか「面白い」という感覚に対しては法外な対価を払うものだからです。だから美術品には異様な高値がつく。アップルは、この点で、家電やコンピュータのメーカーよりも、美術工房に似ている(ジョブズの振る舞いも近代企業の社長というより、中世的な親方に近い)。それに、基本的機能が一通り満たされた後は、そういう「オマケ」の付加価値で勝負するのはセオリーではあります。

 美的価値を武器にする強みはもう一つあって、それは、技術移転が難しいことです。できない、ということはないのでしょうが、でも言葉にできない暗黙知なので、半導体の作り方とかハードウェアの組み立て方のように簡単には、アジアも学ぶことができない。iPhoneiMac を分解しても、その優れたデザインの秘密は分からない。だから、どの企業もアップル製品のように sophisticated な製品を作ることはできません。この壁によって、アップルの地位は守られてきた。ブランド的な装飾品を作るメーカーも、多くはそういう生き残り方をしています。

 ただ、この移転が難しいということには裏返しの欠点もあって、今回のようにジョブズが一線から退いた場合、一気にアップルの力が弱くなってしまう危険があります。属人的な情報は、諸刃の剣です。明示化できる知識は伝達しやすいために陳腐化しやすく、暗黙的な知識は伝達できないため希少価値があるものの、突如断絶する危険がある。企業も国も、昔からこのジレンマに悩んできました。たぶん、一般解はないのでしょう。